古河正定寺
2019年5月1日寺院
正定寺は、茨城県古河市にある浄土宗の寺院です。江戸時代に幕府大老を務めた土井利勝が開基し、以後は土井家歴代の菩提寺とされました。境内にある通称「黒門」は、古河藩江戸下屋敷の表門を移築したもので、市の指定文化財となっています。あわせて土井利勝をはじめとする歴代の墓碑にあたる宝篋印塔もあります。
広告
旅行先の地図
旅行先の概要
御本尊 | 阿弥陀如来 |
---|---|
所在地 | 茨城県古河市大手町7-1 |
交通 |
JR宇都宮線「古河駅」西口から徒歩約15分 古河駅から古河市循環バス「ぐるりん号」(西ルート)経由で約2分、「歴史博物館入口交差点」下車 首都圏中央連絡自動車道「境古河IC」から車で約25分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 境内に舗装された無料駐車場あり |
URL | 古河市>正定寺 |
連絡先 | 正定寺 0280-22-1273 |
歴史・由来
正定寺は、茨城県古河市にある浄土宗の寺院です。
江戸時代の寛永10年(1633)、のちに幕府大老を務めることになる土井利勝が下総古河16万石の城主になると、下大野村にあった正定寺(大野正定寺)の住職・当誉玄哲を城下に呼び寄せ、同名の寺院を建てたのがはじまりとされています。
大野正定寺は室町時代の創建といわれ、中世には浄土宗の学問所にあたる檀林が置かれて栄えたところであり、これ以降は古河の郭内に創建された正定寺ともども、土井家歴代の菩提寺とされました。
境内にある通称「黒門」は、古河藩土井家の江戸下屋敷の表門を移築したもので、市の指定文化財となっています。この門には「時に応じて敏なり」の意味をもつ「とき門」、あるいは「立身出世門」の別名があり、その昔、土岐という名の家臣が、緊急につき黒門の袖に付いた小さな潜戸に乗馬したまま乗り入れて、無事に大役を果たしたことを殿様から褒められ、名馬を賜ったという逸話に由来しています。
この黒門の脇には、土岐の子孫が建てたという近世の小さな馬頭観世音の供養塔も置かれています。
正定寺境内には、3代将軍・徳川家光の側室で4代将軍・家綱の生母でもあるお楽の方(宝樹院)の墓(宝篋印塔)、岩船山高勝寺の地蔵菩薩を崇拝していたお楽の方が建てさせたという岩船地蔵の石仏、徳川家光の乳母・春日局が奉納したという「古河七福神」のひとつの蛇冠弁財天などが残っています。
また、境内墓地の奥には、関東大震災後の復興再開発にともない、浅草の誓願寺から昭和初期に改葬された土井家累代の墓、平成に入ってから芝増上寺塔頭の安蓮社から改葬された土井利勝の墓もあり、古河市の指定史跡とされています。
車椅子で旅行するポイント
本堂 弁財天 黒門 馬頭観音 山門 鐘楼 お楽の方墓 岩船地蔵 墓地 土井家累代の墓所 歴史博物館入口交差点バス停 歴史博物館入口交差点 茨城県道9号佐野古河線 隆岩寺 福寿稲荷神社 長谷観音 古河歴史博物館 永井寺 頼政神社 古河郵便局 古河街角美術館 古河駅 |
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
正定寺のメイン参道は県道沿いの「歴史博物館入口交差点」脇からのもので、ここから入れば舗装された駐車場などもあるが、正面の山門前は階段となっている。山門脇に階段を迂回するスロープはあるにはあるが、角度が急な上に、山門の閾の部分はやはり越えられないので、境内東側の黒門のほうまで迂回するのがよい。黒門の脇からは自動車で境内に直接乗り入れることができる。身障者用トイレは境内にはないが、近場であれば歴史博物館方面にある古河郵便局か、県道沿いにある街角美術館のものが使える。
周辺の名所・観光スポット
古河文学館
平成10年に開館した茨城県内としては初の市営の文学館。大正ロマンの雰囲気を漂わせた洋風建築で、鎌倉幕府を舞台としたNHK大河ドラマ『草燃える』の原作で直木賞受賞作『炎環』をはじめとする歴史小説で知られる永井路子の寄贈資料を中心に、古河市ゆかりの作家たちの文学作品や、童画ジャンルの確立に寄与した戦前の絵雑誌『コドモノクニ』関連資料などを展示しています。
【身障者用駐車場・トイレ・エレベーターあり。市内居住の障害者と介助者1名は手帳提示で無料。】
■参考リンク:古河文学館のホームページ
@tabisora110