雨引観音

雨引観音

2013年11月3日寺院

雨引観音は、茨城県桜川市にある真言宗の古刹で、御本尊の延命観世音菩薩は安産・子育ての御利益で知られます。境内には多宝塔はじめ江戸時代の建築が残り、山中に咲き渡る桜や紫陽花も見事です。「マダラ鬼神祭」という珍しい年中行事も伝えられています。

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旅行先について

地図

旅行先の概要

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御本尊 延命観世音菩薩
所在地 茨城県桜川市本木1
交通 北関東自動車道「桜川筑西IC」から車で約15分。
JR水戸線「岩瀬駅」からタクシーで約10分。
拝観料 境内無料
駐車場 鐙道入口に砕石敷駐車場、薬膳中華茶坊「三笠」前に舗装駐車場(収容台数:300台)あり。「三笠」テラス席前に身障者用区画あり。その他、身障者車両は「三笠」奥の裏参道から境内本堂手前の玉砂利敷まで乗り入れ・駐車可。同様に県道152号線の坂道の途中にある分岐から境内奥の院裏まで乗り入れ・駐車可。
URL
連絡先 雨引山楽法寺 0296-58-5009

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歴史・由来

雨引観音(あまびきかんのん)は、茨城県桜川市にある真言宗の古刹で、正式には「雨引山楽法寺」といいます。坂東観音霊場第24番札所。御本尊の「延命観世音菩薩」(国重要文化財)は安産・子育ての御利益で知られています。

寺伝によれば、用明天皇2年(587)、中国・梁から帰化した法輪独守居士によって開かれ、推古天皇の病気平癒や光明皇后の安産祈願に効験があり、勅願寺に定められたといいます。また、嵯峨天皇の勅願により雨乞いをしたところ、見事に干天の慈雨を降らせたため、勅額を賜り以後「雨引山」を号することになったといいます。寺宝として、光明皇后、嵯峨天皇の染筆による法華経の断簡とよばれるものが現存しています。

建長6年(1254)には鎌倉6代将軍・宗尊親王が本堂、三重塔、仁王門、鐘楼堂、客殿などの諸堂を建立して寄進し、 建武2年(1335)には足利尊氏が316貫文を寄進して祈願所としますが、のち兵火により焼失します。なお、マダラ鬼神が鬼を使役して堂宇の再建を手伝ったといい、今に残る「マダラ鬼神祭」はこの時にはじまるといいます。

江戸時代に入ると、慶長9年(1604)には当時の住職・宥円が徳川家康から朱印地150石の寄進と寺格10万石相当を与えられ、寛永3年(1626)には幕府の寄進により東照大権現の祠堂が建てられ、次いで享保12年(1727)には現在の極彩色の東照山王社殿が再建されています。また、明暦3年(1653)には江戸の豪商・紀伊国屋文左衛門が商売繁昌を祈願したことから、商売繁昌の御利益でも知られるようになります。

現在の堂宇は後代に再建されたものですが、本堂は明暦年間(1655~1658)に造営された桁行・梁間5間の壮大なもので、脇の多宝塔は嘉永年間(1848~1854)造営のものと、いずれも江戸時代の貴重な建築物であり、茨城県指定文化財となっています。

前出の「マダラ鬼神祭」は、鬼神に感謝を捧げるために4月第2日曜日に行われる行事で、赤い装束を纏ったマダラ鬼神が鬼を従えて馬に乗って登場し、護摩が焚かれる中を太鼓にあわせて舞い踊るというものです。京都太秦(うずまさ)広隆寺の「魔多羅祭」と並ぶ「日本二大鬼祭」といわれ、鬼が放った矢を拾うと無病息災になるといいます。

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車椅子で旅行するポイント

下記のほか、【1】(磴道入口の黒門)から200メートル下、県道152号線の坂道の途中にある分岐からも境内「奥の院」裏まで身障者車両の乗り入れができます。

雨引観音【1】磴道から仁王門に至る表参道は階段。車でさらに奥まで進む。
雨引観音【2】磴道を過ぎて舗装駐車場と薬膳中華茶坊「三笠」【車椅子可】。身障者車両はさらに奥へ。
雨引観音【3】茶房「三笠」奥の舗装された坂道を登る。「身障者の方」の案内看板あり。
雨引観音【4】坂道の先には階段上の境内地。「身障者の方」の看板があり玉砂利敷に駐車できる。
雨引観音【5】境内は玉砂利敷で参道部分は石畳。休憩所・トイレ【身障者用ではない】がある。
雨引観音【6】雨引観音本堂。賽銭箱は参道より1段高い位置にある。
雨引観音【7】本堂脇に多宝塔があり、近くまで車椅子で移動できる。


雨引観音境内図

周辺の名所・観光スポット

真壁の町並み

江戸から昭和初期にかけて地域の商業の中心として栄えた地区で、古くは戦国武将・真壁氏や近世大名・浅野氏の城下町として町割りが整備されたといわれる。商家の蔵や門などの歴史ある重厚な建物が残されており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。毎年2月から3月3日には「真壁のひなまつり」として沿道の150軒以上で雛人形の展示がある。
【高上町駐車場に身障者用トイレあり】

■参考リンク:桜川市>真壁の町並み

このページの執筆者
@tabisora110