五社神社諏訪神社

2023年8月17日神社

五社神社諏訪神社は、静岡県浜松市中央区にある神社です。徳川秀忠の産土神として隣接地に鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年(1960)に合併して誕生したもので、子守り・子育ての神として崇敬されています。両者とも相殿に徳川家康を祀ります。

旅行先について

地図


(この地図の緯度:34.706411, 経度:137.724964

旅行先の概要

御祭神 五社神社:太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神
諏訪神社:建御名方命、八坂刀売命、事代主命
所在地静岡県浜松市中央区利町302-5
交通 JR浜松駅から徒歩約10分、または遠鉄バス(大平台線)で約5分、「教育文化会館」停留所下車、徒歩約5分
東名高速道路「浜松IC」または「浜松西IC」から車で約20分
拝観料 無料
駐車場 境内に舗装された無料駐車場あり
URL
連絡先五社神社諏訪神社 053-452-3001

歴史・由来

五社神社諏訪神社は、静岡県浜松市中央区にある神社です。徳川秀忠の産土神として隣接地に鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年(1960)に合併して誕生したもので、両者とも相殿に徳川家康を祀り、子守り・子育ての神として崇敬されています。

五社神社は、戦国時代の曳馬城主・久野越中守が城内に創建した小社がはじまりとされます。元亀元年(1570)、徳川家康が曳馬城に入城して浜松城と改称し、天正7年(1579)に後の2代将軍・徳川秀忠が誕生すると、当社はその産土神となり、翌年に浜松城内から常寒山に遷座しました。寛永18年(1641)には3代将軍・徳川家光の命により、浜松城主・高力摂津守忠房を奉行として権現造りの華麗な社殿が再建され、現在も境内には当時の石垣や高力忠房寄進の手水鉢が残されています。この神社は太玉命・武雷命・斎主命・天児屋根命・姫大神の5柱を主祭神とすることから、江戸時代には「五社大明神」などと呼ばれました。

諏訪神社は、坂上田村麻呂が延暦10年(791)の東征に当たり敷智郡上中島村に奉斎したのにはじまるとされ、弘治2年(1556)に浜松に遷座、さらに元和元年(1615)に西山に遷座し、寛永18年(1641)、徳川家光の命により常寒山の五社神社に隣接して社殿が造営され、またも遷座しています。この諏訪神社も徳川秀忠の産土神として崇敬されました。

五社神社・諏訪神社のいずれも昭和20年(1945)の浜松空襲で社殿が焼失したため、戦災復興の過程において昭和35年(1960)に隣接地同士で合併して「五社神社諏訪神社」となりました。諏訪神社の旧社地は昭和36年(1961)に浜松市民会館となりましたが、現在は廃止されています。

車椅子で旅行するポイント

【1】五社神社諏訪神社の鳥居から自動車のまま境内に進入可。
【2】第2駐車場は境内中段にあり、ここから先の参道は石段となっている。
【3】自動車でさらに上段の自動車祓所まで行けば目の前が拝殿となる。賽銭箱前には5段の石段。
【4】拝殿右手にさらに「車イス用スロープ」の表示がある。
【5】【4】から回廊を通って石段を迂回し賽銭箱前に出る。ただし幅員は狭い。
【6】境内の外トイレに身障者用はないが、100メートル南の五社公園に身障者用トイレがある。
【7】身障者用トイレ内部





境内配置図 [凡例]
本殿 拝殿 祖霊社 神輿庫 待合室 儀式殿 稲荷社 自動車祓所 トイレ 手水舎 北門 第2駐車場 五宝閣 第1駐車場 光海霊神碑 南門 鳥居 社務所 旧浜松市教育文化会館 五社公園

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

五社神社諏訪神社は境内の多くの部分が舗装され、自動車のまま拝殿前まで移動できるようになっている。拝殿の石段も裏手のスロープから迂回できるが、幅員の狭い通路なので状況による。境外の五社公園に清潔感はないが一応は身障者用トイレがある。

周辺の名所・観光スポット

浜松城

浜松城は、静岡県浜松市にある城郭で、中世の曳馬城を徳川家康が拡張整備し、長らく居城として用いた。江戸時代、この浜松城の城主となった譜代大名には老中などの幕府要職に出世したものが多く、俗に「出世城」と呼ばれる。2024年1月14日(日)までの期間、NHK大河ドラマ放映を記念して「どうする家康浜松大河ドラマ館」が開館している。
【身障者用駐車場・トイレ・スロープあり。大河ドラマ館は手帳所持者と介助者1名無料。ただし、天守閣は階段あり車椅子不可。】

■参考リンク:浜松城公園

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このページの執筆者
@tabisora110