高麗神社

高麗神社 神社
神社
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高麗神社は、埼玉県日高市の旧県社で、唐・新羅連合軍により滅んだ高句麗からの渡来人を集住させた「高麗郡」の郡長・高麗王若光を没後に祀ったものです。近代、政治家が多く参拝したことから出世明神とも言われています。境内に保存展示されている茅葺きの高麗家住宅は国の重要文化財です。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 高麗王若光、武内宿禰命、猿田彦命
所在地 埼玉県日高市新堀833
交通 JR八高線・川越線「高麗川駅」から徒歩約20分。
首都圏中央連絡自動車道「狭山日高IC」から車で約20分。
拝観料 無料
駐車場 神社境内に第1駐車場(参道の東西)、境外の高麗川対岸に第2駐車場あり。収容台数350台。ともに舗装済みで無料。
URL
連絡先 高麗神社 042-989-1403

歴史・由来

高麗神社は、埼玉県日高市の旧県社で、御祭神は高麗王若光、武内宿禰命、猿田彦命です。

天智天皇7年(668)、唐・新羅の連合軍により朝鮮半島北部にあった高句麗が滅ぼされて我が国への渡来人が増えたため、霊亀2年(716)、朝廷は武蔵国に「高麗郡」を設置し、東海道7か国に分散していた高句麗人1799名を移住させます。

高麗若光は朝廷から従五位下の官位を受けたのち、大宝3年(703)に外国の王族の子孫を示す高麗王(こまのこきし)の姓を賜与され、のち高麗郡の大領(郡長)になっており、その没後に嫡男の高麗家重が霊廟を建て若光を祀ったのが高麗神社の起こりとされます。

高麗神社は「高麗大宮大明神」とも、また若光が没する時に白髭を蓄えていたことから「白髭大明神」とも称され、神仏習合のなかで本山派修験の大宮寺(だいぐうじ)が別当寺となり、高麗氏を名乗る若光の子孫が代々にわたりその別当職を世襲してきました。

境内にある「高麗家住宅」は、慶長年間(1596-1615)に高麗氏の邸宅として建てられた入母屋造・茅葺きの建物で、国の重要文化財に指定されているほか、高麗氏23代麗純の子・慶弁が書写したという鎌倉時代の「大般若経羅密多経」も同じく国重要文化財で、この神社の社宝となっています。

また、大正から昭和の時期に若槻禮次郎、浜口雄幸、斎藤実、鳩山一郎などの政治家が参拝し、のち内閣総理大臣となっていることから、「出世明神」とも呼ばれています。

車椅子で旅行するポイント

【1】神社入口に舗装された第1駐車場、境外にも第2駐車場がある。奥には自動車祓所があり、舗装された平坦な路面を車椅子でも進むことができる。
【2】駐車場から延びる参道の部分も舗装され、このまま社殿手前までの移動が容易である。
【3】境内のその他の部分は玉砂利が敷かれ、神門と参集殿の前が階段となっている。
【4】神門の階段左側には手すり付きのスロープがあり、迂回して社殿まで移動ることが可能。
【5】高麗神社の外拝殿前は平坦な石畳で、正面に賽銭箱がある。建物左脇にも固定のスロープが設置され、祈祷の際には車椅子で中に入れる。
【6】拝殿右手のスロープから参集殿(2階部分が授与所)まで車椅子で移動できる。
【7】参集殿1階(休憩所)脇に多目的トイレ棟がある。さらに奥に進むと重要文化財の高麗家住宅の敷地となる。
【7-1】多目的トイレ内部(手すり、非常ボタン、小児用ベッドあり)
【8】国重要文化財高麗家住宅。周囲は玉砂利で段差なく移動可。玉砂利をなるべく避けたい場合は東側の公道にも入口がある。





境内配置図 [凡例]
鳥居 参道 第1・第2駐車場 チャンスン:長栍。天下大将軍・地下女将軍の一対からなる朝鮮半島の魔除けの石柱。 車祓所 手水舎 神楽殿 斎館 客殿 祓所 神門 御社殿 御本殿 参集殿 高麗家住宅 高麗水天宮 聖天院:高麗一族の菩提寺。若光墓という高麗王廟がある。 出世橋 埼玉県道15号川越日高線 巾着田



移動のしやすさ ★★★★★
バリアフリーの状況 高麗神社は正面が舗装された駐車場となっており、そのまま舗装された参道を通って社殿まで移動できる。途中の神門の階段は脇に「車椅子の方参拝路」と表示された手すり付きスロープで迂回が可能で、そのまま2階部分の授与所まで移動できる。境内に身障者用トイレもあり、神社としてはバリアフリーに配慮されたつくりになっている。

周辺の名所・観光スポット

巾着田

高麗川が蛇行する場所に位置する巾着のような形をした面積約22ヘクタールの平地で、菜の花、ハス、コスモスなど四季の花々が咲き、カワセミなどの小動物が棲息する。特に秋の曼珠沙華の群生は見事で、多くの観光客が訪れる。
【管理事務所脇に身障者トイレあり。外周路は舗装済だが内部は一部困難。】

■参考リンク:日高市・曼珠沙華の里「巾着田」公式ホームページ

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