補陀洛山寺

2014年2月9日寺院

補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は、和歌山県那智勝浦町にあり、井上靖の小説『補陀落渡海記』に登場する、生きながら観音浄土を目指して入水往生する「補陀落渡海」の風習で知られる寺院です。かつては「那智七本願」といわれた大寺で、ユネスコの世界遺産の一部でもあります。

旅行先について

地図

旅行先の概要

御本尊 千手観音
所在地 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮348
交通 JR紀勢線「那智駅」から徒歩約3分
那智勝浦新宮道路「那智勝浦IC」から車で約1分
拝観料 無料
駐車場 本堂前に舗装済、無料の「渚の森駐車場」があり身障者用区画を設置。本堂裏にも舗装済、無料の参拝者用駐車場あり。
URL 補陀洛山寺
連絡先 補陀洛山寺 0735-52-2523

歴史・由来

補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は、和歌山県那智勝浦町にある天台宗の寺院で、かつては「浜の宮王子」の守護寺として、また「那智七本願」(那智山の造営・修理のための勧進活動を担った7つの寺院)の一つとして栄え、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部をなしています。

仁徳天皇の時代にインドから渡来した裸形上人によって開山されたと伝えられる古刹で、中世には生きながらにして観音浄土の補陀洛山を目指し、四方に鳥居を建て、「南無阿弥陀仏」の旗を掲げ、釘付けにされて窓も出口も塞がれたうつぼ舟に乗って入水往生を遂げるという、壮絶な「補陀落渡海」の風習で知られていました。

新宮の本願・梅本庵主に伝わる『熊野年代記』には、貞観10年(868)の慶龍上人から享保7年(1722)の宥照上人までの20人ほどの補陀落渡海の記録があり、補陀落山寺の裏山の墓地には、これら渡海上人の墓が営まれています。

他に有名なところでは、『平家物語』に平重盛の嫡男・平維盛が一ノ谷の戦い前後に戦線を離脱し、寿永3年(1184)に那智の浜の宮から補陀落渡海を遂げたとあり、また鎌倉幕府の事跡を記した『吾妻鏡』には、那須野巻狩で鹿を射損じたことを恥じた鎌倉御家人・下河辺行秀が天福元年(1223)に補陀落渡海をしたという記録があります。

江戸時代には生者の入水往生に代わり、補陀洛山寺の住持が死亡した際に生きた人のごとくに声をかけて棺を送り出し、そのまま水葬する儀礼をもって「補陀落渡海」と称したようですが、井上靖の小説『補陀落渡海記』には、地元の「金光坊島(こんこぶじま)」にまつわる伝説をもとに、金光坊という住職が渡海船から逃げ出して命乞いするものの、同行の者の手によって再び海に送り返されてしまうという悲惨な話を載せています。

補陀洛山寺の隣には、熊野古道の途中に数多く設けられた社「九十九王子」の一つである「浜の宮王子」跡があり、現在は慶安元年(1647)再建の社殿が残り「熊野三所大神社」と称されています。夫須美大神・家津美御子大神・速玉大神の三神を祀り、その神像彫刻は国の重要文化財に指定されています。

車椅子で旅行するポイント

【1】補陀洛山寺前に無料・舗装済の渚の森駐車場。身障者用区画あり。寺院裏にも同様に舗装駐車場。
【2】本堂の正面参道は階段につき、渚の森駐車場近くのスロープから境内へ。接続部に若干段差あり。
【3】境内の補陀落渡海船付近。境内の地面は平坦で、参道部分は舗装されている。
【4】補陀洛山寺本堂。内部も拝観できるが、正面階段のため車椅子はここまで。
【5】隣接する熊野三所大神社も正面参道は階段だが寺院境内からであれば移動可。
【6】寺院から150メートル東の道の駅なち。身障者用トイレ・駐車場のほか展示・案内施設の世界遺産センターがある。





周辺の名所・観光スポット

那智勝浦世界遺産情報センター

JR那智駅と一体となった「道の駅なち」内にある。熊野古道や那智山の社寺に関するパネルや映像、那智山宮曼荼羅の複製、補陀落渡海船のジオラマなどを展示し、那智勝浦の世界遺産について紹介している。
【身障者用トイレ・駐車場・スロープあり。入場無料。】

■参考リンク:熊野那智世界遺産情報センター

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@tabisora110