飯高寺(飯高檀林跡)
飯高寺(はんこうじ)は、千葉県匝瑳市にある日蓮宗の寺院で、関東で初めての日蓮宗の学問所、いわゆる「飯高檀林」として栄え、今日の立正大学の発祥の地とされています。もとは城跡であったために境内には空堀が残るほか、総門、鼓楼、鐘楼、講堂といった主要な建物は国の重要文化財に指定されています。
旅行先の地図
旅行先の概要
御本尊 | 三宝尊 |
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所在地 | 千葉県匝瑳市飯高1789 |
交通 |
銚子連絡道路「横芝光IC」から車で約20分 JR総武本線「八日市場駅」から市内循環バス(飯高・匝瑳循環)で約20分、「飯高檀林入口」停留所下車 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 入口の県道沿い(南駐車場)、飯高寺境内裏(北駐車場)にそれぞれ舗装された無料駐車場あり(普通車70台、大型車3台)【南駐車場に「飯高檀林跡観光案内所」(金曜日~翌月曜日まで観光ガイド常駐)、身障者用トイレ併設】 |
URL | 匝瑳市>飯高寺(はんこうじ) |
連絡先 | 飯高寺 03-3313-6241 |
歴史・由来
飯高寺(はんこうじ)(飯高檀林跡)は、千葉県匝瑳市飯高にある日蓮宗の寺院で、高台に位置する境内地は6.7ヘクタールにも及んでいます。
天正元年(1573年)、日蓮宗の日統上人が比叡山での修行を終えて下総国飯塚(現・千葉県匝瑳市)の光福寺に戻り、ここに飯塚講肆(こうし)とよばれる学問所を開いたのがそもそもの起源とされています。
のちに京都で松ヶ崎檀林を開いていた日生上人が下総国に下向して日統上人を助けるとともに、日統上人の示寂後にこれを引き継ぎ、さらに日生上人の京都帰還後は弟子の日尊上人が引き継ぎます。
天正8年(1580)には、日蓮宗に帰依していた匝瑳郡北条庄地頭の平山刑部少輔時常が居城の飯高城をすべて寄進して法輪寺を建立し、飯塚の檀林も何度かの移転を経てここに移ることになったため、いまでも境内には空堀や郭の跡が残ります。
その後、天正19年(1591)に徳川家康から朱印地50石の寄進を受けて飯高寺と改称し、特に家康の側室であったお万の方(養珠院)の信心が篤く、その子の水戸徳川家初代藩主・徳川頼房らの寄進もあって、諸堂が整備されるようになります。
以後、飯高檀林は、関東ではじめて開かれた日蓮宗の僧侶の教育・養成機関として、明治時代の学制発布に至るまで栄え、今日の立正大学の前身となります。
飯高寺の境内には、江戸時代の慶安4年(1651)、水戸藩の援助により建立された入母屋造、栩葺き(とちぶき)の講堂をはじめ、鐘楼、鼓楼、総門などが残り、これらは国の重要文化財として指定されています。
また、境内の講堂裏手には牡丹園があり、花の時期には無料観光周遊バスなども運行されてにぎわうほか、ピアノと弦楽器によるイベント「飯高檀林コンサート」、NHKドラマ「とと姉ちゃん」、「ゲゲゲの女房」、映画「忍びの国」のロケ地などとしても活用されています。
車椅子で旅行するポイント
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
南駐車場には身障者用トイレがあるが、飯高寺境内までは距離があるので、境内裏手の北駐車場に回るのがよい。途中の道路は狭隘で坂道が多く運転に注意。飯高寺の総門からは階段となっているが、北駐車場経由の裏参道は舗装されており段差はない。そうした意味では経路や設備は整っているのだが、通常は裏参道への自動車の進入が禁止されており、かなり勾配がきついため、自走式の車椅子などでは移動が難しくなっている。
周辺の名所・観光スポット
ふれあいパーク八日市場
ふれあいパーク八日市場は、地場産業の振興と地域の活性化、都市と農村の交流を目的に、匝瑳市が飯塚地内に開設した施設で、「農特産物コーナー」、「植木見本園」、「郷土料理レストラン 里の香」、「文化コーナー」などからなっている。また、本館を経由して「飯塚沼農村公園」に行くことができる。
【バリアフリー施設。身障者用駐車場(2台)、多目的トイレ、車椅子貸出、点字ブロック、車椅子用テーブル(レストラン)あり】
■参考リンク:ふれあいパーク八日市場