本漸寺
本漸寺は、千葉県東金市にある単立寺院です。室町時代、酒井定隆が東金城を築いた際に現在地に移転させ、酒井氏代々の菩提寺にしたといわれています。また、江戸時代には東金城跡に徳川家康が鷹狩の際に使用する東金御殿が置かれたことから、徳川家康のお手植えと伝わる蜜柑の木が残っています。境内は桜の名所として知られる八鶴湖を望む高台に位置しており、春の花見シーズンには湖畔で「東金桜まつり」が開催されます。
旅行先の地図
(この地図の緯度:35.56073, 経度:140.354837)
旅行先の概要
御本尊 | 大曼荼羅 |
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所在地 | 千葉県東金市東金1423 |
交通 | 首都圏中央連絡自動車道・千葉東金道路「東金IC」から車で約15分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 境内に舗装された駐車場あり |
連絡先 | 本漸寺 0475-52-2449 |
歴史・由来
本漸寺は、千葉県東金市にある単立寺院で、近世「上総十ヶ寺」と呼ばれたなかの一つです。
詳しい創建の経緯は不明ながら、縁起によれぱ、もとは上総国山辺郡松之郷(現在の東金市内)に禅宗寺院の同夢山願成就寺(願成寺)としてあったものを、戦国時代の永正6年(1509)、土気城主・酒井定隆が新たに田間城を築城するにあたり城下に移転させたといいます。さらに大永元年(1521)、田間城が狭隘のため居城を東金城に移すと、改めてこの寺院も現在地へと移されます。
この過程で俗に「七里ヶ法華」「上総七里法華」と呼ばれる領内一円の改宗を推し進めた戦国武将の酒井定隆によって法華宗に改宗され、寺号は本漸寺となり、日親上人が中興開山として迎えられて、長く酒井家の菩提所になります。
酒井氏は豊臣秀吉の小田原征伐で北条方に付いたため、天正18年(1590)に東金城を浅野長政に明け渡していますが、慶長18年(1613)には新たに徳川家康により東金城跡に「東金御殿」(現在の東金高校敷地)が築かれ、翌19年(1614)に鷹狩に訪れた家康から寺領30石の寄進を受けました。
境内には江戸時代の正保4年(1647)に子孫が建立した「大檀那酒井氏一類」とある供養塔、徳川家康お手植えと伝わる蜜柑の木(ただし、現在のものは4代目)、新選組最後の生き残り隊士・池田七三郎(本名は稗田利八)が建立した実父の墓などが残されています。
本漸寺は毎年4月上旬に開催される「東金桜まつり」の会場となる八鶴湖を望む高台に位置しており、周囲には同じく「上総十ヶ寺」の一つの「最福寺」、国登録有形文化財の「八鶴亭」などの見どころもあります。
車椅子で旅行するポイント
本堂 客殿 庫裡 トイレ 徳川家康公お手植蜜柑 大檀那酒井氏一類の供養塔 ペット供養塔 墓地 鳳山別院 山門 千葉県立東金高等学校 弁天島 八鶴湖 御殿山入口 碑林 東金城跡 八鶴湖公園 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
本漸寺は山門から自動車で境内に進入でき、一般の参道は石段だが、境内をさらに進むとコンクリート舗装の車幅1台分ほどの坂道で本堂がある高台まで至ることができる。徳川家康お手植えの蜜柑の木の隣にある境内トイレは身障者用ではないが、200メートルほど離れた八鶴湖公園の身障者用の公衆トイレを利用することが可能である。
周辺の名所・観光スポット
八鶴湖
「八鶴湖」とは、千葉県東金市にある人造湖で、徳川家康が鷹狩の際の宿所として利用するために東金御殿を築造した際、三方を鴇ヶ峰(東金の語源とされる)と呼ばれる丘陵地に囲まれた池を拡幅し、中央に弁天島を設けて庭園風に整備したものです。
もとは単に「谷(やち)池」「御殿池」などと呼ばれていたものを、天保年間に東金を訪れた漢詩人の遠山雲如が「八鶴湖」と命名し、また風光明媚なさまが中国の西湖を連想させることから「小西湖」とも称したといいます。
外周はおよそ800メートルほどですが、湖畔に約1000本の桜の樹が植栽されており、毎年4月上旬には「東金桜まつり」が開催され、多くの花見客が訪れるほか、花火大会や茶会、撮影会などのイベントもあわせて行われています。
また、周辺には明治初期に旅館として開業し、現在は料亭として用いられている国登録有形文化財の「八鶴亭」や、「上総十ヶ寺」にあたる「最福寺」「本漸寺」をはじめとする神社仏閣などもあります。
【身障者駐車場・トイレあり】
■参考リンク:千葉観光ナビ>八鶴湖