井波別院瑞泉寺
井波別院瑞泉寺は、富山県南砺市にある浄土真宗大谷派の寺院です。明徳元年(1390)に本願寺5世綽如上人によって開かれたもので、戦国時代には北陸における一向一揆の拠点となり、佐々成政の軍勢による焼き討ちに遭いました。江戸時代に瑞泉寺本堂が再建された際、京都の本願寺から御用彫刻師が派遣され、地元大工に優れた彫刻技法が伝わったのが、今日に続く「井波彫刻」の始まりとされています。
旅行先について
地図
(この地図の緯度:36.558486, 経度:136.9722)
旅行先の概要
御本尊 | 阿弥陀如来 |
---|---|
所在地 | 富山県南砺市井波3050番地 |
交通 |
北陸自動車道「砺波IC」又は東海北陸自動車道「南砺スマートIC」から車で約15分 JR城端線「城端駅」から井波彫刻バス又は井波・庄川クルーズシャトルバスで約20分、「木彫りの里」停留所下車、徒歩約10分 |
拝観料 |
境内無料 ただし、堂内拝観は一般(高校生以上)500円、小・中学生無料 |
駐車場 |
門前に舗装された関係者専用駐車場あり。 一般参拝者は山門から250メートル北の「井波交通広場駐車場」(普通車210円)を利用する。 |
URL | 真宗大谷派井波別院瑞泉寺 |
連絡先 | 真宗大谷派井波別院瑞泉寺 0763-82-0004 |
歴史・由来
井波別院瑞泉寺は、富山県南砺市にある浄土真宗大谷派の寺院で、明徳元年(1390)に本願寺5世綽如上人により創建されました。
文明13年(1481)には加賀国の冨樫政親と結んだ越中国福光城主の石黒光義を田屋川原の戦いで破り、瑞泉寺を中心とした砺波郡内での一向一揆の勢力が盛んとなり、ほどなく土塁や堀が築かれ城塞化しています。寺内町として井波の街並みが栄えるようになるのもこのころです。
「井波城」「砺波城」「瑞泉寺城」と呼ばれる当時の遺構は南砺市文化財に指定されており、本丸跡には井波八幡宮が鎮座するほか、「瑞泉寺」の寺号の由来となった「臼浪水」が湧いています。
その後上杉謙信の侵攻を受けるものの天正3年(1575)に和睦してその支配下に入り、上杉氏が弱体化した天正7年(1579)には佐々成政の焼き討ちに遭って落城しています。このためいったん城端に逃れることを余儀なくされ、寛永19年(1642)になってから井波の現在地に再建されました。
宝暦12年(1763)には再び火災で堂宇を失いますが、本堂再建にあたって京都の本願寺から御用彫刻師の前川三四郎が派遣され、地元大工に優れた彫刻技法が伝わったのが、今日に続く「井波彫刻」の始まりとされています。
現在の本堂は明治18年(1885)の再建ですが、随所に井波彫刻の粋が散りばめられているほか、門前の八日町通りには井波彫刻の工房が軒を連ねており、日本遺産「木彫刻のまち・井波」として認定されています。
車椅子で旅行するポイント
井波交通広場 八日町通り 大楼壁 高岡門 大門 式台門 台所門 太鼓堂 受付 鐘楼堂 本堂 太子堂 宝物殿 後小松天皇廟 瑞泉会館 香部屋 蔵 御殿 茶室 井波八幡宮 臼浪水 道の駅井波 木彫りの里創遊館 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
井波別院瑞泉寺のメインの入口にあたる高岡門は階段があるので、大楼壁の切れ目にあたる場所に迂回して境内駐車場から進入する。この駐車場の先の大門にもやはり3段ほどの石段があり、そのままでは車椅子で入場できない。実は大門の袖の部分に簡易スロープが備品として用意されており、拝観受付に申し出れば貸してもらえるのだが、受付自体が大門内側の境内にあるので、いずれにしても介助者がいなければ臨機の対応ができない。大門から先の境内は平坦で、参道はアスファルトやコンクリートで舗装されており、身障者用トイレも設置されている。
周辺の名所・観光スポット
八日町通り
八日町通りは、井波別院瑞泉寺門前の坂道で、国の伝統工芸品に指定されている「井波彫刻」の工房が軒を連ね、伝統的なたたずまいの街並みとなっています。木彫りをする際の木槌やノミの音は、環境省の「残したい日本の音風景100選」にも認定されています。
【インターロッキング舗装済み。交通広場に身障者駐車区画・身障者用トイレあり】
■参考リンク:富山観光ナビ>八日町通り