浄興寺

浄興寺

2024年5月6日寺院

浄興寺は、新潟県上越市にある真宗浄興寺派の寺院です。親鸞聖人が開いた稲田草庵が戦乱や災害の中で各地を流転した後、この地に落ち着いたものといわれます。本廟には親鸞聖人の頂骨を収める宝塔を安置しています。本堂は国の重要文化財です。

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旅行先について

地図

旅行先の概要

御本尊 阿弥陀如来
所在地 新潟県上越市寺町2丁目6-45
交通 えちごトキめき鉄道「高田駅」から徒歩約10分
上信越自動車道「上越高田インターチェンジ」から車で約5分
拝観料 境内無料
ただし、「宝物殿」(9:00~16:00)は大人500円、学生400円
駐車場 境内に舗装された無料駐車あり
URL
連絡先 浄興寺 025-524-5970

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歴史・由来

浄興寺は、新潟県上越市にある真宗浄興寺派の寺院です。

興福寺や延暦寺といった旧仏教側から念仏停止の訴えがあったこと、女房の無断出家により後鳥羽上皇の怒りを買ったことなどから、建永2年(1207)、法然・親鸞の師弟はそれぞれ讃岐国(今の香川県)、越後国(今の新潟県)に流罪となりました。

建暦元年(1211)に順徳天皇から赦免を受けた親鸞聖人は、その後、東国布教のために常陸国稲田(今の茨城県笠間市)に移り、「稲田草庵」で浄土真宗の根本聖典ともいえる『教行信証』を著しました。

元仁元年(1224)、『教行信証』が成った喜びを「歓喜踊躍山浄土真宗興行寺」、略して「浄興寺」の寺号に託し、この草庵に名付けたのが始まりといわれています。

しかし、その後稲田の「浄興寺」は戦乱により焼失したため、常陸国内や寺領のあった信濃国(今の長野県)の各地を転々とした後、永禄10年(1567)に上杉謙信の招きを受けて春日山城下に移りました。

さらに、上杉氏の米沢転封に伴い春日山城が廃城となると、後継の堀氏に従って越後福島城下へ、越後福島城が廃城となり松平忠輝の高田城が築城されると高田城下へ移り、寛文5年12月(1666年2月)の高田地震を経て、ようやく現在地に落ち着きました。

江戸時代の延宝7年(1679)ごろに建立された本堂は国重要文化財に指定されているほか、本廟には親鸞証人の頂骨(頭蓋骨の一部)を納める「六角宝塔」が安置されています。

なお、「稲田草庵」の旧跡である茨城県笠間市には別に「稲田御坊」とも称される「西念寺」があることから、「浄興寺」の成立ちについては上記以外にもさまざまな説があります。

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車椅子で旅行するポイント

浄興寺_1.jpg【1】浄興寺の200メートル北西に舗装済みの寺町駐車場があり、大型車でも駐車が可能。
浄興寺_2.jpg【2】浄興寺の志納所付近。舗装された進入路の脇にも駐車スペースがある。
浄興寺_3.jpg 【3】浄興寺の本堂前。参道は石畳で舗装され、周囲は玉砂利となっている。堂内に入るには階段がある。
浄興寺_4.jpg 【4】本廟への参道沿いにトイレ棟があり、身障者用トイレを併設する。
浄興寺_4-1.jpg 【4-1】身障者用トイレ内部
浄興寺_5.jpg 【5】境内の主要な参道は石畳で舗装されており移動はしやすい。


浄興寺境内図

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境内配置図 [凡例]
御本堂 鐘楼 経蔵 太子堂 手水舎 御本廟 拝堂 宝物殿 志納所 書院 御庫裡 新御殿 慈愛堂 墓地 寺町駐車場

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

浄興寺の境内のうち主要な参道部分は石畳で舗装されているほか、自動車を境内まで寄せることができる。本堂や宝物館など堂内への入口にはそれぞれ階段や段差があるものの、外観だけで見学するのであればスムーズな移動が可能である。また境内には身障者用トイレも設置されている。

周辺の名所・観光スポット

高田城址公園

「高田城址公園」は、徳川家康の子息である松平忠輝が、関川河口で水害の多い越後福島城に代えて、慶長15年(1610)に関川上流に築いた平城の跡を公園化したものです。現在も水堀や土塁が残るほか、市立総合博物館などの施設が開設されています。また、平成5年(1993)に「高田城三重櫓」が再建され、内部は展示室や展望室になっています。
【身障者用トイレ・駐車区画・スロープあり。ただし、「高田城三階櫓」は階段があるため車椅子不可。】

■参考リンク:高田城址公園

このページの執筆者
@tabisora110