観福寺
観福寺は、千葉県香取市にある真言宗の寺院で、境内には江戸時代に全国を測量して地図をつくった伊能忠敬の墓所があります。本尊は平将門の守護仏とされる聖観音で、中世には同じ桓武平氏の千葉氏の帰依を受け、近世にも多くの末寺を抱える厄除大師信仰の中心として栄えました。川崎大師、西新井大師とともに「関東の厄除け三大師」とも呼ばれています。
旅行先の地図
旅行先の概要
御本尊 | 聖観世音菩薩 |
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所在地 | 千葉県香取市牧野1752 |
交通 |
東関東自動車道「佐原香取IC」から車で約10分 JR成田線「佐原駅」からJRバス関東(八日市場行き)経由で約10分、「観福寺前」停留所下車、徒歩約2分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 山門脇ほかに舗装済の無料駐車場あり |
URL | 観福寺 |
連絡先 | 観福寺 0478-52-2804 |
歴史・由来
観福寺は、千葉県香取市にある真言宗豊山派の寺院です。
寺伝によれば、寛平2年(890)に尊海僧正が開基したといい、その本尊は平将門が当地下総国牧野郷を訪れたときに霊夢に感じて安置したという守護仏の聖観世音菩薩です。
中世には同じ桓武平氏の千葉氏の帰依を受けており、『観福寺文書』として千葉一族の国分氏が発給した田地の寄進状など数多くの古文書が残されています。
近世には末寺53か寺を数え、寺領30石を有する大寺院で、特に観福寺住職の鏡覚が京都から将来した、空海42歳の厄年のときの自作と伝わる大師像が広く庶民の信仰を集め栄えました。
このため当寺は神奈川県川崎市の川崎大師平間寺、東京都足立区の西新井大師總持寺とともに「関東の厄除け三大師」と呼ばれています。
観福寺が所蔵する銅造懸仏4点(釈迦如来、十一面観音、地蔵菩薩、薬師如来)は、もとは香取神宮の本地仏として奉納されていたものが、明治時代の廃仏毀釈のときに売りに出され、これを佐原の堤半兵衛という人が密かに買い戻して観福寺に奉納したために今に残ったといいます。
弘安5年(1282)の銘がある十一面観音坐像の後背には「奉造 香取太神宮御本地……異国降伏心願成就 造立如件」といった文章も見られることから、元寇の際の時代背景がわかる貴重なもので、国の重要文化財に指定されています。
境内には本堂のほか大師堂、不動堂、観音堂などの堂宇が多く、逆修供養などを目的に造立された貴重な中世の板碑が残るほか、枝垂れ桜や紅葉も茂り、花見や紅葉狩りの名所として知られています。
また、下総国佐原村の伊能家代々の菩提寺として、江戸時代に全国を測量して回り『大日本沿海輿地全図』を作り上げた伊能忠敬の遺髪と爪(故人の希望で師匠にあたる幕府天文方・高橋至時の墓の隣に埋葬されたための扱い。上野源空寺の伊能忠敬墓のほうは国史跡)を納めた墓もあります。
車椅子で旅行するポイント
山門 駐車場 通用口 トイレ 玄関 寺務所 薬師堂 水屋 本堂 枝垂れ桜 不動堂 墓地 伊能忠敬墓 毘沙門堂 鐘楼 観音堂:本尊聖観音を安置し元禄年間の建立という。 牧野大師堂:文政年間建立。厄除け三大師の一つ。 山神源治宮:百姓一揆で処刑された椎名源治を祀る。 観福寺前バス停 千葉県道16号佐原八日市場線 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
観福寺の山門からは石段のためアクセスできないが、裏手の通用門を使えば舗装駐車場からも近く移動は容易。境内は参道部分が石畳、その他は玉砂利となっていて、本堂や庫裏、薬師堂、不動堂など主要な部分を見て回るには十分といえる。なお本堂よりも上の観音堂や大師堂まで参拝する場合は墓地を経由する入口があるが、未舗装道のため特に行きたい場合に限る。本堂付近からでも眺望は可能。身障者用トイレは1キロ北西の伊能忠敬記念館などにあるが、市街地の道路は狭く、逆に途中のスーパーマーケット(セイミヤ)などを利用したほうが便利である。
周辺の名所・観光スポット
伊能忠敬記念館
江戸時代に日本全国を測量してわが国最初の実測日本地図『大日本沿海輿地全図』をつくりあげた伊能忠敬の事績を紹介する記念館。忠敬はもと佐原村の商人から名主となり、隠居後に学問を始めて測量家としての名望を獲得した。記念館一帯は「重要伝統的建造物群保存地区」として古い町並みを保ち、全国から訪れる観光客も多い。
【身障者用駐車場・トイレ(オストメイト対応)・スロープあり】
■参考リンク:伊能忠敬記念館