景徳院

2020年1月29日寺院

景徳院は、山梨県甲州市にある曹洞宗の寺院です。織田信長・徳川家康連合軍に追われた武田勝頼主従が自刃した「武田家終焉の地」として知られます。境内には「生害石」や「没頭地蔵尊」など、往時を偲ばせる遺跡が残されています。

旅行先について

地図


(この地図の緯度:35.641, 経度:138.803722

旅行先の概要

御本尊 釈迦如来
所在地 山梨県甲州市大和町田野389
交通 JR「甲斐大和駅」から甲州市営バス(天目行き)経由で約13分、「景徳院入口」停留所下車
中央自動車道「勝沼IC」から車で約10分
拝観料 無料
駐車場 境内に砕石を敷いた無料駐車場、境外に舗装済みの無料駐車場(市営・身障者トイレ併設)あり
URL
連絡先 景徳院 0553-48-2225

歴史・由来

景徳院は、山梨県甲州市にある曹洞宗の寺院です。

天正10年(1582)、武田信玄没後に甲斐武田家の当主となった武田勝頼は、織田信長・徳川家康連合軍の甲斐侵攻の最中、重臣・小山田信茂の謀反に遭い、天目山の麓にあった田野の地で主従ともども自刃します。

これにより新羅三郎義光から続く名門・甲斐武田家は滅亡しますが、新たな領主となった徳川家康が、武田勝頼主従の菩提を弔うため、田野郷一円を寺領として寄進して創建されたのが田野寺です。

田野寺には「天目山の戦い」で奮戦した武田家臣・小宮山内膳友晴の弟で僧侶となっていた拈橋(ねんきょう)が開山として招かれ、後に勝頼の院号をとって「景徳院」と呼ばれるようになりました。

境内には武田勝頼・信勝・北条夫人が自刃した場所とされる「生害石」、勝頼ほかの首のない死体が埋葬されたという「没頭地蔵尊」、死に臨んで嫡男・信勝に武田家重宝の楯無の鎧を着せ、松の根元に日の丸の御旗を立てて急ぎ元服式を行った場所とされる「旗竪松」などの遺跡が残されています。

また、江戸時代に供養のために建てられた武田勝頼・信勝・北条夫人の墓もあり、発掘調査では基壇部から大量の経石が埋められているのが確認されました。

境内の多くの建物はその後の火災で焼失していますが、山門のみは江戸時代の天保6年(1835)に再建されたものが残っており、山梨県の重要文化財に指定されています。

車椅子で旅行するポイント

【1】景徳院手前の姫が淵付近に舗装済みの市営駐車場があり、身障者トイレを併設している。
【2】身障者トイレ内部
【3】景徳院の総門からの参道は石段が続くが、すぐ手前の車道を真っ直ぐ進むと境内への進入路に至る。
【4】甲将殿裏手から砕石を敷いた境内駐車場に進入でき、この付近には他に生害石や武田勝頼の墓もある。
【5】さらに坂道を登ると本堂前まで到達でき、参道部分は石畳、周囲は玉砂利が敷かれている。





境内配置図 [凡例]
本堂 庫裡 庭園 岩舟地蔵 鐘楼 旗竪松 山門 墓地 勝頼公主従の墓 甲将殿 勝頼公生害石 北条夫人生害石 信勝公生害石 没頭地蔵尊 総門 首洗い池 姫ヶ淵 景徳院入口バス停 日川 山梨県道218号大菩薩初鹿野線 国道20号 天目山栖雲寺

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

景徳院の正面参道は石段が続くが、総門前の車道をそのまま進むと自動車のままで砕石を敷いた境内駐車場に入ることができる。境内駐車場がある区画には甲将殿・生害石・武田勝頼の墓があり、さらにこの駐車場に入らずに坂道を登ると山門の上に出る。この区画には本堂や庫裡があり、一面に玉砂利が敷かれ平坦である。身障者トイレは景徳院手前の姫が淵の市営駐車場内にある。

周辺の名所・観光スポット

道の駅甲斐大和

「道の駅甲斐大和」は、笹子峠近くの国道20号沿いにある道の駅です。ピラミッド型の特徴的な屋根をした建物の中に、「そば切り発祥の地」ならではの手打ち蕎麦を扱うレストラン、地元農産物や土産物などを直売する売店コーナー、ファストフードや丼物などを提供する軽食コーナーなどがあります。また、併設されている農産物加工体験施設では、予約制で郷土食として知られる「ほうとう作り」を体験できます。
【身障者用駐車場・トイレ・スロープ・点字ブロックあり】

■参考リンク:道の駅甲斐大和

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このページの執筆者
@tabisora110