乾徳寺
乾徳寺は、栃木県那須郡那珂川町にある曹洞宗の寺院です。室町時代に宇都宮氏の一族で武茂(むも)城主であった武茂兼綱が開基し、常陸国の耕三寺から聯室舜芳和尚を開山に招いたとされています。山門は武茂城の表門を移築したものといい、裏山にある武茂城跡とあわせて栃木県史跡に指定されています。境内には季節になると白藤などの花が咲き、訪れる人も多いほか、坐禅会や写仏会も定期的に催されています。
旅行先の地図
(この地図の緯度:36.741161, 経度:140.17182)
旅行先の概要
御本尊 | 釈迦牟尼仏 |
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所在地 | 栃木県那須郡那珂川町馬頭114 |
交通 |
JR東北本線「氏家駅」から東野バス(馬頭車庫行き)経由で約45分、「馬頭役場前」停留所下車、徒歩約5分 東北自動車道「矢板IC」から車で約40分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 境内に砕石を敷いた無料駐車場あり |
URL | http://www.kentokuji.com/ |
連絡先 | 龍澤山乾徳寺 0287-92-2247 |
歴史・由来
乾徳寺は、栃木県那須郡那珂川町にある曹洞宗の寺院です。
明応8年(1499)、宇都宮氏の一族で武茂(むも)城主であった武茂兼綱が開基し、開山として常陸国の耕三寺(茨城県常陸大宮市)から聯室舜芳和尚を招き寄せ、武茂氏の菩提寺としたと伝えられていますが、建立の時期や人物については異説もあります。
武茂氏はやがて常陸国の戦国大名・佐竹氏に従属し、関ヶ原合戦では主家と同じく中立の態度をとり、佐竹義宣の秋田転封とともに当主・武茂堅綱もこの地を離れたため、乾徳寺は一時庇護者を失うことになります。
江戸時代の慶安元年(1649)になると、3代将軍・将軍家光から朱印地17石あまりを寄進され、他に馬頭領主だった水戸藩2代藩主・徳川光圀からも除地4石を認められていますが、明治時代に上地しています。
乾徳寺では町内からの失火によって明治時代に堂宇や古記録などの多くを焼失しており、本堂は同じく明治時代の再建ですが、山門は武茂城の表門を移築したもので、武茂氏の家紋が刻まれており、棟札には江戸末期の安永2年(1773)改修と記されています。
境内には歴代の武茂城主の墓と伝わる鎌倉時代からの五輪塔や宝篋印塔が残るほか、谷状の地形に位置する乾徳寺周囲の山の尾根は鎌倉時代の終わりに武茂泰宗が築いたという中世山城の「武茂城跡」となっており、境内とあわせて栃木県史跡に指定されています。
毎年春4月・5月の頃になると、カタクリやシロフジ、ヤマザクラの花が咲き、参拝に訪れる人も多いほか、定期的に「子供禅のつどい」を含む坐禅会や写仏会などが催されています。
車椅子で旅行するポイント
本堂 中門 鐘楼堂 渓雲閣:檀信徒会館 宝徳殿:聖観音を祀り俗に「八角堂」という。 龍ケ沢池 山門 石塔群:江戸時代の法華塔・三界萬霊塔・常夜灯などがある。 墓地:武茂氏累代の墓は那珂川町指定文化財。 トイレ 武茂泰宗像 別雷神社:もと時宗の藤慶山香林寺。日本在来種たばこ「達磨葉」発祥の地。 馬頭広重美術館 馬頭郷土資料館 馬頭小学校 那珂川町商工会 武茂城跡 静神社:大同年間創祀と伝え明治時代に城跡に遷座。 広重美術館前交差点 栃木県道52号矢板那珂川線 国道293号 国道461号 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
乾徳寺は山門などに階段はあっても自動車で迂回でき、境内の奥まで入ることができるため、割と参拝はしやすい。境内を出て南側すぐに馬頭広重美術館などの町の施設が集まっており、多目的トイレもオストメイト対応の広いスペースを持つものが整備されている。
周辺の名所・観光スポット
那珂川町馬頭広重美術館
那珂川町に寄贈された地元の肥料商・青木藤作の4500点あまりの美術品のコレクションを中心に展示する町立美術館。江戸の浮世絵師・歌川広重の肉筆画や版画、青木と親交があった徳富蘇峰の書などの企画展や、そのほかテーマを絞った特別展が開催されることがある。建物は隈研吾が設計したもので、八溝杉の格子や烏山和紙の壁などの特産品があしらわれている。
【身障者トイレ・駐車場・車椅子貸出あり。障害者手帳所持者と付添者1名まで半額】
■参考リンク:那珂川町馬頭広重美術館