光源寺

2013年11月25日寺院

光源寺は、新潟県上越市の浄土真宗の寺院で、親鸞の弟子・最信が建暦元年(1211)年に開いたと伝えられています。本堂には流罪を解かれた際に親鸞自ら描いたという「流罪勅免御満悦御真影」が安置されているほか、妻である恵信尼の像などのゆかりの品が収められています。

旅行先について

地図

旅行先の概要

御本尊 阿弥陀如来
所在地 新潟県上越市国府1丁目4-1
交通 JR信越本線「直江津駅」から徒歩で約15分
北陸自動車道「上越IC」から車で約15分
拝観料 境内無料【堂内拝観の場合は要連絡】
駐車場 境内に若干台駐車可
URL
連絡先 光源寺 025-543-4263

歴史・由来

光源寺は、新潟県上越市にある浄土真宗の寺院です。

木曽義仲の家臣であった堀光政が、越後国府に配流されていた親鸞聖人に深く帰依し、出家して覚円坊最信を名のり、建暦元年(1211)にこの地に「覚円坊」を開いたのが始まりです。

その後、天正3年(1575)に本願寺教如上人より寺号を与えられたことから、「覚円坊」から「光源寺」へと改称します。

本堂中央には、親鸞聖人が順徳天皇の勅旨により流罪を解かれた際、喜びのあまり自ら描いたという「流罪勅免御満悦御真影」が掲げられ、左手を上げていることから「左上の御影」ともいわれています。

堂内にはこのほか、向かい合った聖人と妻の恵信尼が描かれている「連座の名号」や、「越後国 流人 藤井善信 配所其国国府」と俗名を大書した木製の「流人標札」、尼僧になる以前の恵信尼の肖像画などゆかりの品が数多くあります。【堂内拝観の場合は要連絡】

また、境内には、武田信玄に敗れて越後に落ち延び、川中島の合戦の原因をつくったとされる北信濃の武将・村上義清が亡父のために造立した供養塔(五輪塔)も残されています。

車椅子で旅行するポイント

【1】山門は階段あり、その先に平坦な石畳の参道が本堂へ続く。
【2】山門脇の未舗装道から境内へ進入可。
【3】光源寺本堂。正面は階段。境内は玉砂利敷で参道のみ石畳。





境内配置図 [凡例]
本堂 村上義清供養塔 墓地 山門 鐘楼 高浜虚子句碑 新潟県道185号春日山城直江津線 居多神社 国道8号 春日山城跡

移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

光源寺境内へは山門右側の未舗装路から自動車で直接進入できる。境内はそれほど広くはないので、別に車を降りなくともひととおり見学はできる。本堂は内部拝観の場合は要連絡とのことだが、通常は扉が閉まっている様子で中は見えない。

周辺の名所・観光スポット

春日山城跡

戦国時代の名将・上杉謙信の居城があった場所で、国指定史跡。「日本100名城」の一つ。複雑な自然の地形を巧みに利用した堅固な城塞で、標高180メートルに位置する山上の本丸跡に至るまでの間に空堀や土塁などの構築物が残されている。
【春日山神社下まで車で移動可。身障者用トイレ・駐車場あり。ただし、神社から本丸までは階段を伴う急峻な山道のため車椅子は不可。】

■参考リンク:上越市>春日山城跡

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このページの執筆者
@tabisora110