高昌寺

高昌寺 寺院
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高昌寺は、愛知県内子町にある曹洞宗の寺院です。室町時代の嘉吉元年(1441)に創建され、領主の曽根高昌が菩提所としたことからこの寺号があります。境内には山門・中雀門・仏殿などの建物が並び、曹洞宗の大本山である永平寺に伽藍配置がよく似ています。長さ10メートルの石造涅槃仏があることでも有名です。

旅行先について

地図

旅行先の概要

御本尊 聖観世音菩薩
所在地 愛媛県喜多郡内子町大字城廻117番地
交通 松山自動車道「内子五十崎IC」から車で10分
JR内子線・予讃線「内子駅」から徒歩20分
拝観料 無料
駐車場 境内周囲に舗装された無料駐車場あり
URL
連絡先 高昌寺 0893-44-2409

歴史・由来

「高昌寺」は、愛媛県喜多郡内子町にある曹洞宗の寺院で、聖観世音菩薩を本尊としています。

室町時代の嘉吉元年(1441)、周防国泰雲寺(今の山口県山口市)の覚隠永本の門下十哲の首座・大功円忠が、麓川(ふもとがわ)沿いに前身に当たる「浄久寺」を開いたのがはじまりです。天文2年(1533)におよそ1キロ南の現在地に移転し、領主の曽根高昌が曽根氏代々の菩提寺として保護したことから、高昌没後に寺号が「高昌寺」と改められました。

江戸時代の文化4年(1807)、失火により多くの建物を焼失しますが、時の興嶽凡隆和尚が托鉢に奔走するなどして文政7年(1823)に再建を果たしました。その際、大洲藩主・加藤泰候(やすとき)から仏殿(「大雄殿」)の扁額を賜ったほか、藩主の許しを得て領内からクスノキの良材を調達したことから、別名「伊予の楠寺」とも称されます。

3,500平方メートルほどある「高昌寺」の境内には、山門・中雀門・仏殿(大雄殿)などの建物が整然と並び、その伽藍配置は曹洞宗の大本山である「永平寺」とよく似ているとして、内子町有形文化財に指定されています。

また、「高昌寺」では毎年3月15日(旧暦2月15日の釈迦入滅日)に「涅槃会」が行われます。これは江戸時代からの伝統ですが、平成10年(1998)には長さ10メートルの石造の涅槃仏も建立され、この寺院の新たなシンボルとして多くの参拝者を集めています。

車椅子で旅行するポイント

高昌寺_1.jpg 【1】高昌寺の周囲には舗装された駐車場が数か所あり、うち町並駐車場には「思いやりスペース」が設置されている。
高昌寺_2.jpg 【2】町並駐車場の内部にはトイレ棟があり、身障者用トイレを併設している。
高昌寺_2-1.jpg 【2-1】身障者用トイレ内部
高昌寺_3.jpg 【3】高昌寺の山門は石段があるため、前面道路を左折(西方向)して迂回する。
高昌寺_4.jpg 【4】境内西側に墓参用の駐車場があり、その奥の位牌堂と坐禅堂の間に廻廊への入口がある。
高昌寺_5.jpg 【5】廻廊の下はコンクリート舗装され平坦になっている。
高昌寺_6.jpg 【6】高昌寺の本堂(大雄殿)付近。本堂は周囲より2段ほど高いが、参道は舗装され、他もおおむね平坦。
高昌寺_7.jpg 【7】廻廊の右手にも本堂手前や方丈に至る舗装された参道があり、さらに奥に堂内への木製スロープが見える。
高昌寺_8.jpg 【8】涅槃仏への入口も平坦で石畳などで舗装されている。
高昌寺_9.jpg 【9】涅槃仏への参道には石段があるが、左手のスロープから迂回することが可能。


高昌寺境内図

境内配置図 [凡例]
山門 鎮守堂 鐘楼 中雀門 廻廊 坐禅堂(選仏場) 位牌堂 勧学寮 大雄殿(仏殿) 開山堂 方丈 庭園 東司(トイレ) 墓地 涅槃仏 弥勒堂 町並駐車場(有料)

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

高昌寺は伝統的建造物群保存地区の終点に当たる高台に位置しており、山門には石段があるが、西側の入口から廻廊を通って境内を移動することができるようになっている。境内の周囲には舗装された駐車場や身障者用トイレもある。

周辺の名所・観光スポット

内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区

「内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区」は、愛媛県内子町にある、江戸時代からの面影を残す古い町並みです。高昌寺の門前町として、また大洲街道の宿場町として発展し、特産品である和紙や木蝋(ろう)の製造で得た豊富な財力を活かし、白漆喰に海鼠壁、袖うだつを上げた豪華な町家が多く建てられました。
【身障者用トイレ・駐車場・車椅子貸出あり】
■参考リンク:内子町>八日市・護国の町並み(内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区)

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