萬福寺

2019年5月22日寺院

萬福寺は、茨城県行方市にある天台宗の寺院です。平重盛の遺骨を奉じて東国に落ち延びた平貞能が、この地に庵を結んで菩提を弔ったのがはじまりとされています。境内には茅葺きの本堂、仁王門、平重盛ゆかりと伝える阿弥陀三尊像などがあり、いずれも茨城県指定文化財です。

旅行先の地図


(この地図の緯度:36.143305, 経度:140.385038

旅行先の概要

御本尊 阿弥陀如来
所在地 茨城県行方市羽生745
交通 東関東自動車道「茨城空港北IC」から車で約15分
拝観料 無料
駐車場 境内北側に砕石を敷いた駐車場あり
URL
連絡先 雷電山慈心院萬福寺 0299-57-0308

歴史・由来

萬福寺は、茨城県行方市にある天台宗の寺院です。

伝えによれば、平氏の家人として仕えていた平貞能は、平重盛の遺骨を携えて茨城郡金伊野村(現在の茨城県城里町)に落ち延び、ここに重盛の遺骨を埋葬して小松寺を建てた後、常陸平氏の行方二郎を頼って行方郡若海村(現在の茨城県行方市)に至り、重盛の遺骨を分骨するとともに、重盛ゆかりの阿弥陀三尊を祀る庵を結んで菩提を弔ったといいます。

この庵が萬福寺の前身であり、江戸時代に水戸藩の命により作成された『開基帳』には、文治2年(1186)8月に栄俊法印の開基とあります。

室町時代の寛正5年(1464)、朝日城(芹沢城)を築城した常陸平氏大掾一族の芹沢俊幹は、忠伝和尚を招いて若海にあった草庵を萬福寺とし、芹沢に移しますが、さらに江戸時代の元禄10年(1697)にも、水戸藩主・徳川光圀が主導した水戸藩の社寺改革により現在地の羽生に移されています。

萬福寺には数々の文化財がありますが、「仁王門」は天正6年(1578)に逢善寺(現在の茨城県稲敷市)に建立され、享保9年(1724)に霞ヶ浦を船で渡って萬福寺に移築されたもので、茨城県指定文化財のひとつです。

また、寄棟造で茅葺の「阿弥陀堂」は貞享4年(1687)に建立されたもので、天井には龍の図が描かれ、当時水戸藩に仕えていた芹沢家当主の芹沢高幹が寄進者銘に名を連ねており、同様に県指定文化財となっています。

阿弥陀堂内の厨子に安置されている本尊の阿弥陀如来像は、口元を開いて歯がのぞいている「歯吹阿弥陀」とよばれる珍しい仏像で、脇侍の観世音菩薩像・勢至菩薩像とともに実際には室町時代中期の作と見られており、こちらも茨城県指定文化財です。

車椅子で旅行するポイント

【1】萬福寺の正面に仁王門があり、ここからの参道は石段につき、自動車で右手の急坂を登る。
【2】道なりに進むと仁王門から150メートル先に「萬福寺駐車場入口」の看板があるので、ここから駐車場に進入する。
【3】墓地に隣接して砕石を敷いた駐車場があり、奥には本堂や阿弥陀堂が見える。
【4】正面からの参道は阿弥陀堂および本堂に連なり、裏手の駐車場からもこれらの建物にアプローチできる。






境内配置図 [凡例]
本堂 阿弥陀堂 庫裡 仁王門 墓地 看板 羽生館二の曲輪 羽生地区学習センター 国道355号 羽生郵便局

移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

萬福寺はもともと羽生城跡(三の曲輪)に建てられているので周囲よりも高低差が大きく、仁王門のある正面からは長い石段が続く。急傾斜で幅員は狭い(車1台分)ものの、仁王門右手にコンクリート舗装の坂道があるので、ここを直進して裏手の駐車場から自動車のまま境内に進入するとよい。この駐車場からのルートも正面参道に接続している。境内にバリアフリー設備はないが、400メートル先国道沿いの羽生郵便局にトイレがある。

周辺の名所・観光スポット

芹沢鴨生家跡

江戸幕末の新選組筆頭局長・芹澤鴨は、行方市芹澤の出身であり、常陸平氏大掾一族の末裔で水戸藩郷士となっていた芹沢外記(貞幹)の3男とされています。現在は人は住んでおらず、内部の母屋などの建物も東日本大震災で被災して取り壊されていますが、ここが芹沢本家の屋敷跡であり、かつての芹沢城に隣接しています。近年、芹沢鴨の出自については芹沢貞幹3男ではないとする異説も出されていますが、逆にこの説への反論もあります。
また、敷地の一角にある「手接明神」碑は、芹沢俊幹が馬にいたずらをする河童の手を斬って城に持ち帰るものの、河童に懇願されて手を返すと、妙薬の秘法を授けられたという伝説に基づくものです。
【非公開のため外観のみ。身障者用設備はないが自動車で付近まで移動可。】

■参考リンク:行方市>芹澤鴨生家跡

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このページの執筆者
@tabisora110