明王院は、広島県福山市にある真言宗の寺院です。大同2年(807)に弘法大師が開基したと伝えられ、中世には芦田川沿いの「草津千軒町」が門前町としてにぎわったとみられています。本堂や五重塔が国宝に指定されるなど、多くの貴重な文化財を抱える寺院です。
旅行先について
地図
旅行先の概要
| 御本尊 | 十一面観音 |
|---|---|
| 所在地 | 広島県福山市草戸町1473番地 |
| 交通 |
山陽自動車道「福山SAスマートIC」から車で10分 JR山陽新幹線・山陽本線・福塩線「福山駅」からトモテツバス(明王院経由鞆線)乗車7分、「明王院前」バス停下車、徒歩5分(運行本数僅少)、又はトモテツバス(鞆線)乗車7分、「草戸大橋」バス停下車、徒歩15分 |
| 拝観料 | 境内無料(ただし、建物内拝観は指定日のみ大人500円、中高校生300円) |
| 駐車場 | 境内入口に舗装済みの無料駐車場あり |
| URL | http://www.chisan.net/myooin/ |
| 連絡先 | 明王院 084-951-1732 |
歴史・由来
「明王院」は、広島県福山市にある真言宗の寺院であり、十一面観音を本尊としています。
もとは「常福寺」と呼ばれ、大同2年(807)、弘法大師空海が草戸山の中腹に観音像を安置したのがはじまりと伝えられており、国重要文化財の秘仏本尊も平安時代前期の作であることがわかっています。
この寺院は福山湾に注ぐ芦田川の河口を見下ろす位置にあり、中世、川の中洲には港町として、また門前町として「草戸千軒町」が栄えました。しかしながら、福山藩士・宮原直倁(なおゆき)の『備陽六郡志』に「寛文十三年癸丑の大漲に青木が端の堤崩れ新田及千軒の町忽ち漂流す」とあるように、江戸時代には洪水によって水没し、昭和に入ってから屋敷跡や塔婆、木札、古銭、陶磁器などの膨大な遺物が発掘されるに及んで、ようやくその姿が明らかとなりました。
江戸時代の承応年間(1652~1654)には、福山藩3代藩主・水野勝貞が城下から歴代藩主の祈願寺であった円光寺をこの地に移転し、常福寺と合併させて今日の「明王院」となりました。以後、末寺48か寺を擁する当地方屈指の本山として隆盛しますが、明治の神仏分離令により境内の愛宕神社などが切り離され、寺地が縮小されて現在に至ります。
明王院の本堂は、桁行・梁行ともに約11.8メートルの折衷様で、鎌倉時代の元応3年(1321)の建築です。南北朝時代の貞和4年(1348)に「一文勧進」と呼ばれる庶民からの少額の寄進を集めて建てられた五重塔は相輪までの総高が約29メートルあり、本堂とともに国宝に指定されています。
車椅子で旅行するポイント
| 十王堂 山門 トイレ 学寮 地蔵堂 五重塔 授与所 大黒天 鐘楼 本堂 書斎 庫裡 書院 護摩堂 庭園 鳥居 愛宕山 墓石群 愛宕神社 墓地 草戸稲荷神社 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
「明王院」は川沿いの公道よりも10メートル以上標高がある高台に位置しており、山門に至る参道は長い石段があるものの、石段を迂回する舗装された車道が境内を通っているので、車のまま容易に本堂近くまでアプローチできる。境内の参道部分は石畳、その他は薄く玉砂利が敷かれているが、おおむね平坦で移動はしやすい。境内のトイレは入口にスロープと手すりが付いているが車椅子用ではない。個室内が狭く転回ができないタイプだが、隣接する「草戸稲荷神社」には身障者用トイレがある。
周辺の名所・観光スポット
福山城
「福山城」は、元和8年(1622)に備後福山藩10万石の初代藩主となった水野勝成が築いた平山城です。「福山大空襲」によりほぼ焼失したものの、戦後に天守などの建物が復興されました。天守内部は「福山城博物館」となっているほか、外観も城の裏山からの砲撃に備えて一面に黒い鉄板を張った江戸時代の姿が再現されています。また、江戸時代に伏見城から移築したという「伏見櫓」が現存し、国重要文化財に指定されています。
【身障者用駐車区画・トイレ・スロープ・昇降機・エレベーターあり。障害者及び介護者は入館無料。】
■参考リンク:福山城博物館
日本全国 一の宮 巡拝パーフェクトガイド




