中山法華経寺
中山法華経寺は、千葉県市川市にある日蓮宗の霊跡寺院のひとつで、『立正安国論』を著したために草庵を焼き討ちされた日蓮聖人が逃れた場所にあたります。その弟子となった下総の豪族・富木常忍が建てた法華寺、同じく太田乗明が建てた本妙寺が合併し、室町時代に古河公方から寺号を贈られて「法華経寺」となり、「中山門流」が成立します。国宝に指定される日蓮自筆の『立正安国論』を有するほか、境内には祖師堂はじめ国重要文化財の建物がいくつもあります。また、鬼子母神の信仰でも知られます。
旅行先の地図
旅行先の概要
御本尊 | 十界曼荼羅 |
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所在地 | 千葉県市川市中山二丁目10-1 |
交通 |
JR総武線「下総中山駅」から徒歩約10分 京成線「京成中山駅」から徒歩約5分 京葉道路「市川IC」から車で約15分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 境内に舗装された無料駐車場あり(混雑時は砕石が敷かれた臨時駐車場、警備員が誘導) |
URL | 日蓮宗大本山中山法華経寺 |
連絡先 | 大本山正中山法華経寺 047-334-3433 |
歴史・由来
中山法華経寺(正中山法華経寺)は、千葉県市川市にある日蓮宗の大本山の寺院で、日蓮聖人一代の重要な遺跡としての「霊跡寺院」のひとつにあたります。
文応元年(1260)、日蓮聖人は『立正安国論』を著わして前執権の北条時頼に送り、正法である法華経を信仰しなければ内憂外患で国が滅びると予言したため、他宗の僧侶らによって松葉ヶ谷の草庵を焼き討ち(「松葉ヶ谷法難」)されてしまいますが、千葉氏の被官で富木胤継(富木常忍)や太田乗明らが代官として居館を構えていた下総の八幡荘(やわたのしょう)に逃れます。
富木常忍は日蓮没後に出家して居館を「法華寺(法花寺)」とし、同じく太田乗明も居館を「本妙寺」として出家した長男の日高を住職に据え、両寺院が並び立つ状態となりますが、その後の代々の住職は両方の寺院の兼務が習わしとなります。
天文14年(1545年)、古河公方の足利晴氏から寺号を贈られ、法華寺と本妙寺の両寺院が合併して「法華経寺」が誕生し、この流派は「中山門流」として、江戸時代に至るまで多くの末寺を擁して栄えることになります。
中山法華経寺には日蓮聖人がみずから書写した『立正安国論』が残り、国宝に指定されているほか、「比翼入母屋造」というめずらしい造りの「祖師堂」、江戸初期に本阿弥光室が父母の供養のために建てた「五重塔」、富木常忍が銭四貫文で建立したという逸話が残る「法華堂」、室町時代のものと推定される柿葺きの「四脚門」が、それぞれ国重要文化財に指定されています。
また、母の危篤を聞いて故郷の安房国に向かう途中で地頭・東条景信の軍勢に襲われ負傷した際(「小松原法難」)、その一命を救ったことに感じ入って日蓮聖人がみずから刻んだという鬼子母神像を安置する「鬼子母神堂」が境内にあり、入谷の真源寺、雑司が谷の法明寺とともに、「江戸三大鬼子母神」(または杉並の本佛寺)のひとつとして信仰されています。
ほかにも、境内寺院・塔頭は数多く、毎年11月1日から2月10日にかけての100日間行われる過酷な荒行で知られる「荒行堂」(中山遠壽院)などがあります。
車椅子で旅行するポイント
祖師堂 妙見堂 絵馬堂 五重塔 鬼子母神堂 本院 聖教殿 臨時駐車場 大荒行堂 太田稲荷大明神 宇賀神堂 法華堂 刹堂 龍王池 八大龍王 安世院 髙見寺 本妙寺 連壽院 池本寺 智泉院 赤門 陽雲寺 本光寺 京成中山駅 奥の院 黒門 国道14号 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
中山法華経寺は境内に駐車場があり、駐車場入口には多目的トイレもあるため、自動車で乗り入れればある程度まで楽に移動できる。
鬼子母神堂はスロープやエレベーターがあるので完全に建物内部にも車椅子で入れるが、祖師堂などの他の建物は階段があるので直下までとなる。特に法華堂などがあるエリアは周囲よりも1段高くなった擁壁上となる。
なお、国道14号から黒門(総門)、赤門(三門)経由で駐車場に至るルートは、付近の中山競馬場開催時9時から18時まで車両通行止めの標識があるほか、道幅も狭いので注意のこと。
周辺の名所・観光スポット
市川市東山魁夷記念館
日本画家の東山魁夷が長年にわたり過ごした市川市にオープンした市立の記念館。東山魁夷が留学したドイツの風景を模した八角形の塔のある西洋風の建物のなかに、日本画やスケッチ、リトグラフ、その他遺品など多数展示しているほか、ミュージアムショップやカフェレストランなどもあります。
【身障者用駐車場、エレベーター、多目的トイレ、車椅子貸出あり。障害者手帳の所持者および付添1名まで観覧料・駐車料1台分無料】
■参考リンク:市川市東山魁夷記念館