成東山浪切不動院

2017年6月16日寺院

成東山不動院長勝寺は、千葉県山武市にある真言宗智山派の寺院で、「浪切不動院」の名で知られています。懸崖造りの本堂は少なくとも江戸時代前期に遡るとされる貴重な建物で、行基が海難除けとして刻んだとされる不動明王を安置しています。石塚の森に建つ本堂の上からは、山武市の市街地が一望できます。

広告

旅行先の地図

広告

旅行先の概要

御本尊 不動明王
所在地 千葉県山武市成東2551
交通 首都圏中央連絡自動車道「山武成東IC」から車で約10分
JR総武本線「成東駅」から徒歩約9分
拝観料 無料
駐車場 境内に砕石が敷かれた無料の参拝者駐車場あり(正面仁王門を入って左手)
URL
連絡先 成東山浪切不動院 0475-82-2176

広告

歴史・由来

成東山不動院長勝寺は、千葉県山武市にある真言宗智山派の寺院で、「浪切不動院」「成東波切不動尊」などの名で知られています。

天平3年(731)、行基が東国巡錫の折、海難除けを祈願して不動明王の像を刻んでこの寺を開基し、後に弘法大師が現在の「石塚の森」に尊像を移したと伝えられています。

本堂は「石塚の森」の中腹、「成東石」と呼ばれる硬い岩盤の上にある朱塗りの懸崖造りの建物となっており、解体修理の際に江戸時代前期の元和4年(1618)の棟札が発見されていることから、少なくとも江戸時代前期よりも以前に建立された貴重なものとみられ、山武市の文化財として指定されています。

車椅子のままでは難しいものの、この本堂の上からは山武市の市街地を一望することができるほか、後背地の「石塚の森」もスダジイなどの樹木が密生し、山武市の天然記念物として指定されています。

この波切不動は、平成8年(1996)にできた「新上総国三十三観音霊場」の第32番札所にもなっており、本堂に向かう参道沿いに十一面観音を祀る観音堂があります。

本堂下には明治時代に鉱泉旅館「成東館」が開業し、尾崎紅葉や伊藤左千夫などの文豪たちが遊びましたが、戦前にはすでに廃業しており、現在は跡地を示す碑と鉱泉井戸が残っています。

車椅子で旅行するポイント

成東山浪切不動院_1.jpg 【1】成東山浪切不動院の仁王門付近。正面のスペースは自動車祈祷所だが、左手から境内に自動車で進入できるようになっている。
成東山浪切不動院_2.jpg 【2】浪切不動院会館の脇は砕石が敷かれた無料の参拝者駐車場となっている。
成東山浪切不動院_3.jpg 【3】宗務所方面まで境内は砕石が敷かれおおむね平坦であり、一部参道は舗装されている。
成東山浪切不動院_4.jpg 【4】成東山浪切不動院の懸崖造りの本堂と途中の観音堂へは石段のため車椅子は不可だが、下からよく眺望できる。


成東山浪切不動院境内図

広告

境内配置図 [凡例]
本堂 出世庚申尊 観音堂 仁王門 弘法大師像 成東館鉱泉跡 宗務所 波切不動院会館 墓地 石塚の森 山武教育会館 山武郡市広域行政組合 作田川 国道126号 山武市役所

移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

浪切不動院には特にバリアフリーの設備はないが、境内そのものは平坦で、参拝者のための駐車場もある。肝心の懸崖造りの本堂は山上にあるため石階段を登らなければならず、車椅子では移動不可だが、下からでも十分に眺望できる。身障者用トイレは700メートル南東に山武市役所、保健福祉センター、成東文化会館などの公共施設が集中しているので、いずれかを利用可能。

周辺の名所・観光スポット

山武市歴史民俗資料館

歌人・小説家として知られる伊藤左千夫の生家に隣接して建てられた市立の歴史民俗資料館。館内には山武市に関わる民俗、考古などの郷土資料、明治維新の頃にごく短期間だけ存在した松尾藩由来の史料などが展示されている。また、元治元年(1864)に山武市で生まれた伊藤左千夫の遺品、書簡や小説『野菊の墓』の初稿本などを展示するほか、敷地内には茅葺き屋根の「伊藤左千夫の生家」、東京の茅場町から移築した茶室「唯真閣」もある。
【身障者用トイレ、車椅子貸出あり。身障者手帳所持者は入館無料】

■参考リンク:歴史民俗資料館

このページの執筆者
@tabisora110