来迎院

寺院

来迎院は、茨城県龍ケ崎市にある天台宗の寺院です。境内に関東では珍しい国重要文化財の多宝塔があることで知られ、宝珠の銘文から弘治2年(1556)に江戸崎城主・土岐治英が修繕をしたことがわかっています。江戸時代には上野寛永寺の資金援助で本堂を再建するなどしています。

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旅行先の地図

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旅行先の概要

御本尊 阿弥陀如来
所在地 茨城県龍ケ崎市馴馬町2362
交通 首都圏中央連絡自動車道「牛久阿見IC」から車で約15分
拝観料 無料
駐車場 境内入ると舗装された無料駐車場あり
URL
連絡先 宗教法人来迎院 0297-62-3474

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歴史・由来

来迎院は、茨城県龍ケ崎市にある天台宗の寺院です。山号は法華山、寺号は宝塔寺を称し、阿弥陀三尊を祀っています。

戦国時代の永正14年(1518)、常陸国河内郡小野村(今の茨城県稲敷市)の逢善寺の末寺として当時の馴馬村に開かれたのがはじまりで、弘治元年(1555)、延暦寺の覚仙大阿闍梨が伽藍を建てて中興したと伝えられています。

江戸時代の寛政3年(1791)には上野寛永寺から200両の資金援助を受けて本堂などを再建しており、有力な寺院のひとつであったことがうかがわれます。

境内には関東地方には珍しい、柿葺き(こけらぶき)で三間四方の室町時代の多宝塔が残っており、平成18年(2006)に国の重要文化財に指定されています。

江戸時代に土浦の国学者・色川三中が編纂した『常総遺文』には、多宝塔の頂上にある宝珠の銘文を載せており、これには多数の寄進者の交名とともに、「希代廟塔修繕之為」として江戸崎城主・土岐大膳太夫治英が檀越に名前を連ねています。銘文には「于時弘治弐天丙辰五月吉日」ともあることから、弘治2年(1556)に修築を受けたこともわかります。

この来迎院では毎年12月23日に「火防せ大祭」があり、本堂での護摩祈祷の後に山伏が登場し、火渡り修行が行われています。

車椅子で旅行するポイント

来迎院_1.jpg 【1】市道に面した来迎院の入口。そのまま自動車で境内に入ることができる。
来迎院_2.jpg 【2】舗装された参道沿いに多宝塔があり、奥の仁王門裏が駐車場になっている。
来迎院_3.jpg 【3】本堂まで舗装された参道が続き、上り口は階段になっている。


来迎院境内図

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境内配置図 [凡例]
本堂 涅槃堂 多宝塔 檀信徒会館洗心閣 仁王門 墓地 廣田商店 ファミリーマート龍ケ崎市馴馬店 馴馬町交差点 茨城県道271号佐貫停車場線 茨城県道48号土浦竜ヶ崎線 馴馬城跡:南朝方拠点の山城。春日顕国(春日中将)が籠城するも宍戸朝里の攻撃で落城。 龍ケ崎市歴史民俗資料館 佐貫 龍ケ崎市街

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

来迎院の境内はそれほど大きくはなく、自動車で公道からそのまま入れる。参道も舗装されているので特に参拝に支障はなく、多宝塔も間近で見られる。境内には特に身障者用の設備はないが、700メートルほど東側に龍ケ崎市歴史民俗資料館、龍ケ崎市中央図書館、龍ケ崎市文化会館などの公共施設が集まっているため、身障者用トイレなどが利用できる。

周辺の名所・観光スポット

龍ケ崎市歴史民俗資料館

龍ケ崎市歴史民俗資料館は、龍ケ崎市の古代から現代に至るまでの歴史資料や民俗資料を常設展示する博物館施設。八坂神社祇園祭にあたり唐草文様の衣装にアマガエルのお面をかぶった舞男が高さ14メートルの柱の上で曲芸を繰り広げる国選択無形民俗文化財「撞舞」(つくまい)の4分の1ジオラマをはじめ、来迎院多宝塔の宝珠、屋外展示として関東鉄道竜ケ崎線で活躍した蒸気機関車などがある。
【身障者用駐車場・トイレ・スロープあり。身障者に限らず誰でも無料。】

■参考リンク:龍ケ崎市歴史民俗資料館
 

このページの執筆者
@tabisora110