最福寺
最福寺は、千葉県東金市にある日蓮宗系の単立寺院です。徳川家康が鷹狩のため東金御殿を訪れた際、当時の日善上人と対面し、朱印地30石を寄進しています。もとは伝教大師が創建した天台宗の寺院と伝えられ、後に日蓮宗に改宗して「上総十ヶ寺」の一つに数えられるようになります。八鶴湖のほとりの高台に位置し、運慶作の大黒天像などの寺宝を多く抱えています。
旅行先の地図
(この地図の緯度:35.56269, 経度:140.360264)
旅行先の概要
御本尊 | 三宝尊 |
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所在地 | 千葉県東金市東金1693 |
交通 |
首都圏中央連絡自動車道・千葉東金道路「東金IC」から車で約15分 JR東金線「東金駅」から徒歩約6分 または「東金駅」(西口)から九十九里鐵道バス(季美の森線)経由で約1分、「八鶴湖入口」停留所下車、徒歩約2分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 |
境内に舗装された無料の参詣者駐車場あり また境内直下にも八鶴湖駐車場(無料)あり |
URL | 東金最福寺ホームページ |
連絡先 | 安国山最福寺 0475-52-2321 |
歴史・由来
最福寺は、千葉県東金市にある日蓮宗系の単立寺院です。
大同2年(807)、「東金」という地名の由来にもなった後背地の鴇(とき)ヶ嶺の山頂にある山王神社とともに、巡錫中の伝教大師最澄が天台宗の寺院として開創したと伝えられています。
なお、山王神社は南北朝時代に遷座して、現在の東金市大豆谷にある「日吉神社」となっており、古地にあたる鴇ヶ嶺山頂には「古山王神社」の小祠が祀られています。
その後、室町時代の文明11年(1479)になり、京都妙満寺十世・日遵上人がこの地に布教に訪れると、当時の住職・日遵上人がこれに帰依して天台宗から顕本法華宗に改宗したため、中興開基とされています。あわせて最澄の「最」から採ったとされる寺号「最福寺」も「西福寺」に改められ、もとの寺号に戻るのは戦後のことです。
また、一帯を領有していた土気城主・酒井定隆は、顕本法華宗の信者として「上総七里法華」とよばれる領内寺院の法華改宗を推進したとされ、江戸時代には「上総十ヶ寺」の一つとして本山の妙満寺輪番を勤めるほどの地域の信仰上の拠点となりました。
慶長19年(1614)には鷹狩のために東金御殿を訪れた徳川家康が当時の住職・蓮成院日善上人と対面しており、このとき住職を兼務していた本漸寺とともに、最福寺に朱印地30石が寄進されています。
その後も『駿府記』同年9月条に「廿日、上総国東金西福寺日善上人御目見、日蓮宗也」とあるなど、「大坂冬の陣」を間近に控えた大坂方との交渉が山場を迎える駿府において、日善上人が徳川家康と再び面会していた動静なども知られており、境内にはこれにちなんだ「家康公と日善上人」のブロンズ像も建てられています。
そのほか、鎌倉時代の運慶作と伝わる大黒天像、刺繍が施された室町時代の長さ4メートル超の釈尊入滅涅槃図、戦国時代の銘をもつ鰐口などの東金市指定文化財の寺宝の数々や、「切られ与三」とお富の悲恋で知られる歌舞伎の世話物『与話情浮名の横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)のモデルである中村大吉(四代目芳村伊三郎)の墓などが残されています。
なお、四代目芳村伊三郎の墓は複数存在し、東京都品川区の天妙国寺が本来のもので、千葉県木更津市の光明寺とここ最福寺にあるものはいわゆる詣り墓にあたります。
慶長10年(1605)の飢饉の際、やってきた検田使の役人を殺害し、米蔵を無断で開放して農民に米を分け与えた義民とされる市東刑部左衛門は、責任をとって菩提寺であるこの寺院で自害したという伝説もあり、近くのニュータウンの一角(木戸公園内)にその墓とされる「市東塚」が祀られています。
最福寺境内では毎年2月3日に「お大黒様節分会」が行われ、当日は近隣から千人ほどが参拝して福袋を受け取るほか、八鶴湖畔では3月下旬から4月上旬にかけて「東金桜まつり」も行われ、大勢の花見客でにぎわいます。
車椅子で旅行するポイント
本堂 スロープ 鐘楼 切られ与三郎(四代目芳村伊三郎)の墓 墓地 家康公と日善上人ブロンズ像 太子堂 客殿 庭園 大黒殿 安国殿(斎場) 山門 八鶴湖駐車場 八鶴湖 関東ふれあいの道 古山王神社 東金駅 国登録有形文化財八鶴亭 本漸寺 |
移動のしやすさ
★★★★★
バリアフリーの状況
最福寺は八鶴湖に面した高台にあり、通常の参道は長い石段となっているが、コンクリート舗装された迂回路としての車道があり、本堂まで直接自動車で乗り入れることが可能なつくりである。本堂にもスロープが併設されているので堂上まで移動ができる。ただし、車両1台程度の道幅で急な坂道になっているので注意のこと。境内の直下には東金市の八鶴湖駐車場と公衆トイレがあり、身障者用トイレが併設されている。
周辺の名所・観光スポット
八鶴湖
「八鶴湖」とは、千葉県東金市にある人造湖で、徳川家康が鷹狩の際の宿所として利用するために東金御殿を築造した際、三方を鴇ヶ峰(東金の語源とされる)と呼ばれる丘陵地に囲まれた池を拡幅し、中央に弁天島を設けて庭園風に整備したものです。
もとは単に「谷(やち)池」「御殿池」などと呼ばれていたものを、天保年間に東金を訪れた漢詩人の遠山雲如が「八鶴湖」と命名し、また風光明媚なさまが中国の西湖を連想させることから「小西湖」とも称したといいます。
外周はおよそ800メートルほどですが、湖畔に約1000本の桜の樹が植栽されており、毎年4月上旬には「東金桜まつり」が開催され、多くの花見客が訪れるほか、花火大会や茶会、撮影会などのイベントもあわせて行われています。
また、周辺には明治初期に旅館として開業し、現在は料亭として用いられている国登録有形文化財の「八鶴亭」や、「上総十ヶ寺」にあたる「最福寺」「本漸寺」をはじめとする神社仏閣などもあります。
【身障者駐車場・トイレあり】
■参考リンク:千葉観光ナビ>八鶴湖