泉岳寺

2016年2月21日寺院

泉岳寺は、東京都の高輪にある曹洞宗の寺院で、赤穂義士と主君の浅野長矩の墓地があることでもよく知られています。もとは慶長17年(1612)に徳川家康が門庵宗関を招請して開いた寺院で、寛永の大火の後で現在地に移されました。曹洞宗の「江戸三箇寺」のひとつです。

旅行先について

地図

旅行先の概要

御本尊 釈迦牟尼佛(釈迦如来)
所在地 東京都港区高輪2-11-1
交通 地下鉄都営浅草線「泉岳寺駅」から徒歩で約1分
首都高速1号羽田線「芝浦出入口」から車で約10分
拝観料 無料
ただし、「赤穂義士記念館」は大人 500円、中高生 400円、小人(10歳以上)・身障者250円
駐車場 「中門」を入って「山門」前に若干台の砕石敷の駐車場(無料)あり
「山門」を越えて「講堂」前もインターロッキング舗装のようになっており駐車可能なスペースあり
URL
連絡先 萬松山泉岳寺 03-3441-5560

歴史・由来

泉岳寺は、東京都港区高輪にある曹洞宗の寺院で、赤穂義士と主君の浅野長矩の墓地があることでもよく知られていて、墓域は国史跡として指定されています。

もとは慶長17年(1612)、徳川家康が今川義元の菩提を弔うため、江戸城近くの外桜田の地に、今川義元の縁者である門庵宗関を招請して開いた寺院で、寛永の大火の後で現在地に移されて再建されました。

江戸時代には泉岳寺、青松寺、総泉寺が曹洞宗の「江戸三箇寺」(江戸僧録、江戸触頭)となっており、付属の泉岳寺学寮がのちに他の学寮と統合され、いまの駒沢大学の前身になっています。

元禄14年(1701)3月14日、勅使饗応役に任じられていた播州赤穂藩主・浅野長矩(浅野内匠頭)が江戸城内で高家筆頭の吉良義央(吉良上野介)に対して刃傷沙汰に及び、即日切腹となり、意外は菩提寺の泉岳寺に葬られました。

その後、元禄15年(1702)12月14日には、かつての筆頭家老であった大石良雄(大石内蔵助)以下の四十七士が江戸本所の吉良邸に討ち入り、主君の仇を報じると、吉良上野介の首級をこの泉岳寺の墓前に供えた話は「忠臣蔵」として有名ですが、境内の「首洗い井戸」は、その時に首級を洗った井戸であるといいます。

赤穂義士四十七人も徒党の罪によって幕府から切腹を命じられ、その遺骸は同様に主君である浅野長矩の眠る泉岳寺に葬られましたが、現在でも国史跡として多くの人々が花や線香を手向けるところとなっています。

車椅子で旅行するポイント

【1】泉岳寺駅方面から進むと泉岳寺中門に突き当たる。ここは自動車でも奥に入れるので直進。
【2】泉岳寺山門の前に参拝者用の砕石敷の駐車場があるので通常はここで降車。
【3】山門右側の入口。関係車両はさらに直進して境内講堂前にも駐車可能なスペースがある。
【4】泉岳寺本堂。周囲はインターロック舗装で平坦。本堂前のみ4段の階段がある。
【5】境内の山門、赤穂義士記念館の間には身障者用トイレもある。
【6】赤穂義士墓入口。右手は門まで階段路だが、左手がスロープとなっている。左手を直進。
【7】赤穂義士墓のスロープ。墓域の外周を迂回するようになっている。
【8】赤穂義士墓。階段があるが正面左手方向のスロープをそのまま進めばフラットな場所がある。



移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

境内はインターロッキングのような舗装がされていて平坦で、身障者トイレがあるほか、浅野長矩及び赤穂義士墓の階段にも車椅子で参拝できるスロープが併設されている。階段がある本堂に上がるなどするのでなければ参拝はそれほど困難ではない。

周辺の名所・観光スポット

赤穂義士記念館

平成13年(2001)年に赤穂義士討ち入り300年を記念して泉岳寺境内に整備された展示施設。衣装や陣太鼓などの赤穂義士の遺品の数々が展示されているほか、忠臣蔵の関するビデオ上映もされている。向かいの講堂2階の「義士木像館」と共通料金。【入口段差なくフラット。義士木像館は階段だがエレベーター併設】

■参考リンク:曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺

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このページの執筆者
@tabisora110