下野国分寺

下野国分寺

2019年6月24日寺院

下野国分寺は、栃木県下野市にある真言宗の寺院で、山号は瑠璃光山といい、大日如来を祀ります。奈良時代に聖武天皇の発願によって国ごとに創建された国分寺の法燈を継ぐ寺院とされていますが、詳しい経緯はわかっていません。この寺院の南側1キロほど離れた場所には創建当時の下野国分寺および国分尼寺跡があり、国史跡に指定されています。

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旅行先の地図

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旅行先の概要

御本尊 大日如来
所在地 栃木県下野市国分寺1541
交通 北関東自動車道「壬生IC」または「都賀IC」から車で約15分
拝観料 無料
駐車場 境内に砕石を敷いた無料駐車場あり
URL
連絡先 慈福院 0282-62-2267

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歴史・由来

下野国分寺は、栃木県下野市にある真言宗の寺院で、山号は瑠璃光山といい、大日如来を祀ります。

奈良時代に聖武天皇の発願によって国ごとに創建された国分寺の法燈を継ぐ寺院とされています。

この寺院の南側1キロほど離れた場所には創建当時の下野国分寺および国分尼寺跡があり、国史跡に指定されています。

創建当時の下野国分寺はおよそ400メートル四方の広大な面積を持ち、そのなかに南大門・中門・金堂・講堂が一直線に並び、回廊の外側には七重塔が建立されていたものとみられます。

時代を経るごとに伽藍が縮小され、11世紀から12世紀ごろには衰退していたと考えられていますが、そこからどのようにして現在の国分寺へと変遷するのか、詳しいことはわかっていません。

現在の国分寺境内には、下野市指定文化財の釈迦如来坐像を安置する「釈迦堂」や、同じく市指定文化財で鎌倉時代のものとみられる「五輪塔」があり、この塔は一説によれば聖武天皇・光明皇后・行基を祀ったものとされています。

なお、創建当時の下野国分寺跡がある一帯は「天平の丘公園」として整備されていますが、その一角に「紫式部の墓」と伝えられる五輪塔(ただし、もとは姿川沿いにあったものを明治時代に移設)があり、現在の下野国分寺境内にあるものと同じタイプです。

車椅子で旅行するポイント

下野国分寺_1.jpg 【1】下野国分寺は県道に面し、本堂・薬師堂正面に石畳の参道の入口が、その脇に自動車用の駐車場入口がある。
下野国分寺_2.jpg 【2】参道は本堂の階段手前まで延びており、脇の会館にはスロープが設置されている。
下野国分寺_3.jpg 【3】本堂の西側には釈迦堂や薬師堂があり、砕石が敷かれた通路でつながっている。
下野国分寺_4.jpg 【4】1キロ南の下野国分寺・尼寺跡には基壇や礎石の跡があり、遊歩道でつながっているほか、路傍に身障者トイレもある。


下野国分寺境内図

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境内配置図 [凡例]
下野国分寺本堂 会館 スロープ 釈迦堂 火の見櫓 寺号標 薬師堂 五輪塔 小祠 国分農業研修センター しもつけ風土記の丘資料館 国分寺聖武館 レストハウスしもつけ 下野国分尼寺跡 釈迦堂霊園墓地 栃木県埋蔵文化財センター シェアスペース夜明け前 天平の丘公園 下野国分寺跡 甲塚古墳 栃木県道18号小山壬生線 栃木県道44号栃木二宮線

移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

下野国分寺は県道沿いに位置し、駐車場にも県道から直接出入りができる。本堂と薬師堂それぞれの正面に石畳の参道があり、周囲は砕石が敷かれている。諸堂の前面は階段で、会館前にのみスロープが設置されているが、無住の寺院のため参拝時にこのスロープを使うことはなさそうである。
1キロ南の国史跡下野国分寺跡のほうは史跡公園として整備されているため、「しもつけ風土記の丘資料館」などの施設があるほか、身障者トイレや身障者用駐車場などの設備は充実している。

周辺の名所・観光スポット

下野市立しもつけ風土記の丘資料館

「下野市立しもつけ風土記の丘資料館」は、国指定史跡である下野国分寺跡や下野国分尼寺跡に隣接する展示施設です。国分寺・同尼寺跡をはじめとして、周辺の丸塚古墳や愛宕塚古墳、甲塚古墳、下野国府跡から出土した瓦や埴輪、泥塔、硯などの考古資料、ジオラマその他を展示しています。また、一帯は公園化されて史跡散策路も整備されています。
【身障者用駐車場・トイレ・スロープあり】

■参考リンク:しもつけ風土記の丘資料館

このページの執筆者
@tabisora110