眞城院

2018年8月1日寺院

眞城院は、千葉県成田市にある天台宗の寺院です。寺伝によれば応永3年(1396)の開基とされ、境内に弁財天が安置されています。江戸時代にこの地にあった1万石の小藩・下総高岡藩の井上家が寄進したものです。「しもふさ七福神」のひとつにもなっています。

旅行先の地図


(この地図の緯度:35.878456, 経度:140.354048

旅行先の概要

御本尊 阿弥陀如来
所在地 千葉県成田市高岡163
交通 首都圏中央連絡自動車道「神崎IC」から車で約5分
拝観料 無料
駐車場 境内入ると右手に舗装された無料駐車場あり
URL
連絡先 眞城院 0476-96-0176

歴史・由来

眞城院は、千葉県成田市にある天台宗の寺院です。

寺伝によれば、応永3年(1396)に僧証尊が開基し、もとは現在地よりも南側に位置する成田市猿山字真城にあったことから「眞城山眞城院」を名乗っていたところ、後に高岡藩陣屋がある現在地に移転して「高岡山眞城院」に山号を改めたといいます。

本堂から見て県道を挟んだ南側にある池の小島には弁財天が祀られています。これは江戸時代に当地を支配した下総高岡藩の藩主・井上家の一族にあたる井上正栄が寄進したものとされています。

下総高岡藩は初代の井上筑後守政重が宗門改役設置によるキリシタン禁制などに功績があったことから立藩されたもので、1万石の小藩でしたが明治維新まで続き、陣屋は眞城院から400メートルほど東側の現在のJAかとり下総支店のあたりに置かれていました。遠藤周作の『沈黙』に初代・井上政重、千野隆司『おれは一万石』に7代・井上正紀が登場するなど、時代小説の題材としても採り上げられています。

眞城院弁財天は明治時代にいったん境内に移されるものの、地元民の寄進により堂宇を一新してもとの池の中に祀られるようになります。近年では滑河観音龍正院などとともに、地域振興の目的で創設された「しもふさ七福神」のひとつにもなっています。

また、沼田藩主・真田信利の悪政を幕府に越訴した杉木茂左衛門は、一時期この下総国高岡村に逃れており、眞城院の僧侶が檀家・鵜沢利右衛門の屋敷に匿っていたという伝説もあります。杉木茂左衛門はその後故郷の上野国月夜野村に戻ったところを密告により捕らえられ、妻子ともども処刑されたため、代表越訴型一揆の義民「磔茂左衛門」としてその名を知られることとなりました。

車椅子で旅行するポイント

【1】県道から真城院に入ると正面は山門だが車道は右手に折れている。
【2】車道を進むと「駐車場」の看板があるのでそのまま直進する。
【3】寺務所の前が舗装された駐車場となっている。
【4】真城院の本堂。山門から続く参道の石畳があり周囲は芝生敷。上り口に手すりがある。
【5】県道の反対側は真城院弁財天となっている。県道から見える位置に堂がある。






境内配置図 [凡例]
本堂 山門 寺務所 道心庵 墓地 寺号標 真城院弁財天 地蔵堂 稲荷社 千葉県道63号成田下総線 千葉県道79号横芝下総線 千葉県道103号江戸崎下総線 高岡藩陣屋跡 国道356号 常総大橋 滑川駅 下総公民館 

移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

県道から真城院の境内に入ると舗装された駐車場があるのでここに駐車できる。境内に現在残る建物は山門、本堂、弁天堂程度なので、特に車を降りて境内を大きく移動するほどのこともない。実際に降りると舗装道以外の部分、たとえば本堂周囲は芝生、弁天堂周囲は地面そのままとなっており、平坦とはいえ足元には注意したい。弁天堂のほうは県道沿いで交差点も近いので気軽に移動ができない。500メートル南側の下総公民館に身障者用トイレがある。

周辺の名所・観光スポット

成田ゆめ牧場

成田ゆめ牧場は、利根川南岸の田園地帯にある、約9万坪の広大な面積をもつ観光牧場。観光牧場としての開設は昭和62年(1987)だが、明治20年(1887)から搾乳牧場として操業してきた歴史があるため、自家製の乳製品にこだわりがある。牧場内では農業体験、自家製品作りなどが可能なほか、カフェ・レストラン、スポーツ、釣り堀、小動物などのコーナーがある。また、オートキャンプ場を併設している。
【身障者用駐車場・トイレ・スロープ・車椅子貸出あり。身障者手帳提示で入場料半額、駐車場および付添人1人無料。車椅子でレストラン利用可】

■参考リンク:成田ゆめ牧場
 

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このページの執筆者
@tabisora110