成田山新勝寺
成田山新勝寺は、千葉県成田市にある寺院で、平将門の乱に際して京都から下向した寛朝僧正が調伏の祈祷を行ったときに携えていた不動明王を本尊としています。江戸時代には歌舞伎役者の市川團十郎が帰依して「成田屋」の屋号を名乗ったのはよく知られています。正月の初詣客の人数は全国有数の約300万人となっています。
旅行先の地図
旅行先の概要
御本尊 | 不動明王 |
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所在地 | 千葉県成田市成田1番地 |
交通 |
JR成田駅または京成成田駅から徒歩で約10分【駅や途中の参道には身障者用の公衆トイレもあるが、坂道なので車椅子はなるべく自動車がよい】 京成成田駅から千葉交通バス(吉岡線)で約12分、「成田山門前」停留所下車 東関東自動車道「成田IC」から自動車で約10分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 信徒会館脇の「弘恵会本町駐車場」、光輪閣西の「弘恵会土屋駐車場」などの周辺有料駐車場を利用(成田山新勝寺ホームページに記載あり) 祈祷車は国道295号「成田山入口」交差点から進入して「自動車祈祷殿」の専用駐車場があるが、大本堂のある境内地へは徒歩5分かかる距離 |
URL | 大本山成田山 |
連絡先 | 大本山成田山新勝寺 0476-22-2111(代表) |
歴史・由来
成田山新勝寺は、千葉県成田市にある寺院で、現在は真言宗智山派に属し、同派の大本山のひとつにもなっています。
平将門が常陸国はじめ関東の国衙を攻略して印鑰を奪い、新たに国司の除目を行い「新皇」を称した、いわゆる「平将門の乱」に際して、弘法大師空海が彫った不動明王像を携え、朱雀天皇の密勅を受けて京都から下向した寛朝僧正が、天慶2年(939)、下総国公津ヶ原で平将門の調伏を行ったとされる時期を開山としています。
平将門の乱平定後には、朱雀天皇より「神護新勝寺」の寺号を授かり勅願所となりますが、もとは別の場所にあり、永禄9年(1566)に寺台城主である海保甲斐守三吉が現在地に諸堂を再建して本尊を移したものといいます。
江戸時代には、歌舞伎役者の初代市川團十郎が成田山に願掛けをして跡継ぎ(二代目市川團十郎)を授かったことから、「成田屋」の屋号を名乗って『成田不動尊利生記』を演じるようになり、庶民層にも成田参詣が浸透します。
また、元禄16年(1703)に富岡八幡宮の別当寺であった永代寺で行われたのを皮切りにして、江戸でしばしば成田山の不動明王像の出開帳が行われたことから、これが現在の成田山東京別院としての深川不動堂の起源にもなっています。
成田山新勝寺では、現在も毎日護摩祈祷が行われていることから、交通安全、家内安全などを求めてふだんから参拝する人も多く、特に正月の初詣客は約300万人近くと、全国的なランキングで見ても明治神宮や川崎大師に並ぶ人数となっています。
車椅子で旅行するポイント
大本堂 聖徳太子堂 一切経堂 鐘楼 三重塔 釈迦堂 額堂 開山堂 奥之院 平和大塔 仁王門 水行堂 阿弥陀堂 総門 御護摩受付所 弁財天堂 大師堂 光輪閣 トンネル(出世開運隧道) 弘恵会土屋駐車場 信徒会館 成田山門前バス停 弘恵会本町駐車場 交通安全祈祷殿 薬師堂 成田駅 |
移動のしやすさ
★★★★★
バリアフリーの状況
成田山新勝寺の境内はほぼバリアフリー化されており、身障者用トイレ、スロープやエレベーターの設置、車椅子貸出(入口の「御護摩受付所」へ)などがあるほか、大本堂にもエレベーター経由で車椅子のまま入ることができる。
途中の【6】「仁王門」脇だけやや傾斜があり、自走式車椅子は介助があるとよいが、その他は参道も平坦な石畳のため特に移動上の支障はない。
西側の土屋駐車場からトンネル(出世開運隧道)経由であれば【6】もスルーでき、エレベーター脇に身障者用の乗降所も設けられている。
境内北側「平和大塔」方面に向かうエレベーター(大塔参道エレベータ)も平成28年末に「開基1080年祭記念事業」の一環として工事が完成し、こちらの方面まで移動ができるようになった。
周辺の名所・観光スポット
国立歴史民俗博物館
昭和58年、佐倉城跡の一角に開設された、日本の歴史と民俗文化について総合的に研究・展示する博物館。大学の共同研究施設の位置付けで、教授職をはじめとするスタッフが在籍している。施設の延べ床面積は3.5万平方メートルに及び、常設展示では古代から現代にわたる歴史・民俗関連の実物資料や精密な複製品が多数展示されている。
【スロープ、エレベーター、身障者用トイレ、身障者駐車スペース、車椅子貸出あり。障害者手帳提示により介助者とも入館無料。】
■参考リンク:国立歴史民俗博物館