正宗寺
2018年5月28日寺院
正宗寺(しょうじゅうじ)は、茨城県常陸太田市にある臨済宗円覚寺派の寺院です。平安初期に平将門の父にあたる平良将が創建したと伝えられます。中世には常陸源氏の佐竹氏の菩提寺として栄え、境内墓地には佐竹氏累代の墓とされる宝篋印塔が残るほか、『水戸黄門漫遊記』の「助さん」のモデルとされる水戸藩の史臣・佐々宗淳(介三郎)の墓もあります。
旅行先の地図
(この地図の緯度:36.560335, 経度:140.51545)
旅行先の概要
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
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所在地 | 茨城県常陸太田市増井町1514 |
交通 |
JR水郡線「常陸太田駅」から茨城交通(水府線)経由で約10分、「増井」停留所下車、徒歩約5分 常磐自動車道「那珂IC」または「日立南大田IC」から車で約20分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 山門手前に砕石が敷かれた無料駐車場あり |
URL | 常陸太田市>正宗寺 |
連絡先 | 正宗寺 0294-73-0897 |
歴史・由来
正宗寺は、茨城県常陸太田市にある臨済宗円覚寺派の寺院です。
平安初期の延長元年(923)、平将門の父にあたる平良将が創建したと伝えられ、当時は「勝楽寺」と呼ばれる律宗の寺院でしたが、その後の貞応2年(1223)には、佐竹氏4代当主・佐竹秀義が勝楽寺境内に塔頭の「正法院」を建立しています。これらの寺院はすでに衰退して水田地帯と化していますが、「盤陀岩」と呼ばれる岩が残り、かつては岩の周囲に浄土庭園があったことを伺わせます。
南北朝時代の暦応4年(興国2年)(1341)には、常陸守護の佐竹氏9代当主・佐竹貞義の子にあたる月山周枢が、師匠の夢窓疎石を開山と仰いで正法院内にさらに「正宗庵」を開き、次いで佐竹氏10代・佐竹義篤(戦国時代の当主とは別人)が臨済宗の「正宗寺」に改めています。
なお、これに先立つ建武3年12月(延元元年)(1337)には、南朝方の瓜連城主・那珂通辰が北朝方の佐竹貞義に攻められて勝楽寺の裏山にあたる一本松峯で一族34名とともに自刃しており、後に墓が建てられました。
正宗寺は中世、佐竹氏の菩提所として栄え、「関東十刹」(実際は10か所以上ある)のひとつに数えられたといい、境内墓地には佐竹氏累代の墓とされる多数の宝篋印塔が残されています。
江戸時代に佐竹氏は出羽秋田に転封となりますが、幕府からは朱印100石を受け、末寺12か寺を有する寺院として存続し、天保年間の火災後に庫裏などを再建しています。
正宗寺には『水戸黄門漫遊記』の「助さん」のモデルとされ、水戸藩2代藩主・徳川光圀の隠居所「西山荘」近くの不老沢に住んでいた史臣・佐々宗淳(介三郎)の墓もあり、同じく「格さん」のモデルである安積澹泊(覚兵衛)が撰文しています。
車椅子で旅行するポイント
本堂 庫裏 収蔵庫 蓮池 三門跡 参道 総門 ビャクシン 佐々宗淳の墓 佐竹一族の墓 那珂通辰の墓 旧勝楽寺跡 旧正法寺跡 増井町集会所 源氏川 増井町バス停 茨城県道29号常陸太田那須烏山線 常陸太田市街 水府 竜神大吊橋 |
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
正宗寺は県道の増井町バス停付近から木造橋を渡って農道を進んだ先にある。木造橋は2トン車以上は通行不可(茨城交通増井車庫付近からの迂回路はある)につき注意。正面の総門から本堂に至る参道には階段があるが、脇の道路から庫裏または収蔵庫前まで車で行くことができるようになっている。現在の境内には建物はあまり残っておらず、墓域を除くとそれほど広くはないので特に降車する必要もない。佐々宗淳の墓や佐竹一族の墓は高台にあり階段路以外は選択不可。身障者用トイレなどの施設は境内にはない。
周辺の名所・観光スポット
西山の里 桃源
一般に「水戸黄門」として知られる水戸藩2代藩主・徳川光圀の隠居所「西山荘」の入口にある休憩施設。館内には飲食コーナーや物産コーナー、展示コーナー、観光案内コーナーなどがあり、隣接して花菖蒲などの既設の花々が楽しめる園池が整備されている。「西山荘」(西山御殿)は茅葺き・平屋建てで書斎もわずか3畳と、徳川御三家の大名クラスとしては似つかわしくない質素なつくりで、光圀はここで紀伝体の歴史書『大日本史』の編纂に努め、後の「水戸学」の形成に大きな影響を与えた。
【身障者用トイレ・駐車場・スロープ・車椅子貸出(館内)あり。なお、西山荘の内部は階段路があり移動困難。】
■参考リンク:西山の里桃源
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