曹源寺
曹源寺は、群馬県太田市にある曹洞宗の寺院です。新田義重が京都から迎えた祥寿姫の菩提を弔うために建てられた六角堂が起源とされています。現在の本堂は3階建ての江戸時代のさざえ堂で、入口から同じ通路を通らずに内部の百観音を巡拝して元の場所に戻ることができる特異な構造となっています。現存するさざえ堂(三匝堂)は数えるほどしかなく、福島県の旧正宗寺三匝堂、埼玉県の成身院百体観音堂とともに「日本三堂」のひとつとされます。
旅行先の地図
旅行先の概要
御本尊 | 魚籃観音 |
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所在地 | 群馬県太田市東今泉町165 |
交通 | 北関東自動車道「太田桐生IC」から車で約5分 |
拝観料 | 境内自由。ただし、さざえ堂内の拝観は大人300円、こども(中学生以下)無料(保護者同伴に限る)(拝観時間:10時から12時、13時から15時。法事等のため不定休。さざえ堂正面右手の扉から建物内部に入って受付。)【堂内階段あり車椅子不可】。 |
駐車場 | 境内に舗装済みおよび砕石が敷かれた無料駐車場あり |
URL | 曹源寺さざえ堂 |
連絡先 | 祥寿山曹源寺 0276-25-1343 |
歴史・由来
曹源寺は、群馬県太田市にある曹洞宗の寺院です。
寺伝によれば、文治3年(1187)、新田義重が京都から養子として迎えた祥寿姫の菩提を弔うために建てられた六角堂(祥寿院)が起源とされ、その後の文安元年(1444)には横瀬貞俊により本堂が建立されています。
その後も横瀬氏や末裔の由良氏の帰依を受け、豊臣秀吉による小田原合戦で北条方として小田原城に篭った由良氏が常州牛久(現在の茨城県牛久市)に転封して一時庇護を失うものの、江戸時代に入ると3代将軍・徳川家光から朱印地14石5斗余の寄進を受けています。
もとの本堂は江戸時代のうちに相次ぐ火災によって焼失しており、現在では観音堂として境内に存在していたさざえ堂をもって本堂に充てています。
曹源寺さざえ堂は、寛政10年(1798)に上州龍舞村(現在の太田市の一部)の大工棟梁・町田兵部栄清によって建立されたもので、外観は2階建て、内部は3階建てで階段とスロープによりつながっており、入口から同じ通路を通らずに内部の百観音(1階:本尊と秩父三十四箇所、2階:坂東三十三箇所、3階:西国三十三所)を巡拝して元の場所に戻ることができる特異な構造となっています。
このようなさざえ堂(三匝堂)は、江戸時代のものでは他には茨城県取手市の「長禅寺三世堂」、青森県弘前市の「蘭庭院栄螺堂」、福島県会津若松市の「旧正宗寺三匝堂」のみ、明治時代に再建された東京都足立区の「總持寺(西新井大師)三匝堂」、埼玉県本庄市の「成身院百体観音堂」を含めても6例しか現存していません。
うち本堂と「旧正宗寺三匝堂」、「成身院百体観音堂」を合わせて「日本三堂」と呼び、規模的には間口・奥行き9間(16.3メートル)四方の本堂が最大で、群馬県指定重要文化財となっています。
曹源寺さざえ堂では平成27年(2015)から平成29年(2017)にかけて本堂大規模保存修理事業が実施されましたが、その過程において、江戸時代から大正時代にかけての参詣者が氏名や地名、屋号、参詣日などを記したり、男女の参詣者の絵(落書き)を描いたりした大量の墨書が内壁に上塗りされた塗料の下から発見され、最も古いものでは江戸時代の寛政12年(1800)の年号が確認されました。
また、本堂の北側には鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて、当時この地域を支配していた武家の薗田氏が造立したものと見られる、四方に「南無阿弥陀仏」の六字名号を刻した「名号角塔婆」が残されており、大田市指定文化財となっています。
曹源寺の境内には百体観音にちなんで100株ほどのあじさいが植栽されており、現在では「群馬のあじさい寺」としても人気のスポットになっています。
車椅子で旅行するポイント
さざえ堂(本堂) 山門 鐘楼 水屋 だるま石 名号角塔婆 裏門 墓地 庚申塔 トイレ 看板 いずみの里デイサービスセンター セノキモータース 村山酒店 暁工業 群馬県道316号太田桐生線 東今泉交差点 国道122号 セブンイレブン太田市東今泉町店 北関東自動車道太田桐生インターチェンジ 市街地 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
曹源寺さざえ堂は県道や国道からの入口がわかりにくいが、基本的に平坦地に建てられており、駐車場も境内に隣接しているので、自動車で近くまで移動の上で参拝が可能である。本来であれば有料での内部拝観もしたいところだが、スロープと階段からなる狭い通路のため車椅子では不可となる。
周辺の名所・観光スポット
史跡金山城跡ガイダンス施設
史跡金山城跡ガイダンス施設は、新田金山城の歴史を紹介するとともに、来訪者の憩いの場とすることを目的として、平成21年(2009)に金山山麓に開館した太田市の文化施設で、建築家の隈研吾が設計した石垣をイメージさせるユニークな外観を持つ。施設内には金山城のジオラマや出土品の展示があるほか、火起こし体験教室・勾玉づくり体験教室なども行っている。新田金山城は由良成繁・国繁親子らが拠点とした金山に建つ戦国時代の山城で、従来の定説を覆す本格的な石垣の遺構が発見されたことで知られる。虎口の石垣や大手道、日ノ池・月ノ池、桟道などが復元されているほか、実城(本丸)跡に新田義貞を祀る新田神社が建つ。
【身障者用駐車場・トイレ・スロープ、エレベーターあり。身障者に限らず誰でも無料。】
■参考リンク:史跡金山城跡ガイダンス施設