信濃国分寺
信濃国分寺は、長野県上田市にある寺院で、聖武天皇の勅願により全国に建てられた国分寺の法灯を継ぐものとされ、境内には国重要文化財の三重塔などが建っています。別名を「八日堂」といい、毎年1月の「八日堂縁日」では蘇民将来の護符が頒布されにぎわいます。また、奈良時代のもとの伽藍は、しなの鉄道沿いの低地にあり、国史跡として整備され、上田市立信濃国分寺資料館が開設されています。
旅行先の地図
旅行先の概要
御本尊 | 薬師如来 |
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所在地 | 長野県上田市国分1049 |
交通 |
しなの鉄道「信濃国分寺駅」から徒歩約5分 JR「上田駅」から千曲バスで約8分、「八日堂」停留所下車 上信越自動車道「上田菅平IC」から車で約15分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 境内前に砕石敷の無料駐車場あり |
URL | 八日堂 信濃国分寺 |
連絡先 | 信濃国分寺 0268-24-1388 |
歴史・由来
信濃国分寺は、長野県上田市にある天台宗の寺院で、天平13年(741)の聖武天皇の詔により、国家鎮護のために全国各地に建てられた国分寺の法灯を継ぐものとされています。
奈良時代の元の伽藍は、現在の信濃国分寺の南側300メートルほど下の、しなの鉄道沿いの低地にあたり、当時は国分僧寺、国分尼寺が隣接して存在していたことが発掘調査からわかっていますが、史跡公園として整備されて国の史跡となり、あわせて上田市立信濃国分寺資料館が開設されています。
寺伝によれば、承平8年(938)、平将門と平貞盛との合戦で焼亡し、のち建久8年(1197)、源頼朝が善光寺参詣の帰りに信濃国分寺の衰亡を知って再興したとされていますが、現在の境内地にも鎌倉時代の石造多宝塔があることから、平安末期から鎌倉時代にはこの場所に移転して再興されていたことはたしかなようです。
また、天下分け目の関が原の戦いにともなう第二次上田合戦の際には、降伏を促す東軍の使者としてやってきた真田信幸、本多忠政と、上田城に籠城した真田昌幸の会見場所として、この信濃国分寺が選ばれています。
信濃国分寺には「八日堂」という別名があり、これはかつての国分寺が聖武天皇の詔によって毎月8日に『金光明最勝王経』を転読するように義務付けられていたことによるものとみられます。
毎年1月7日(宵祭)から8日にかけては、「八日堂縁日」として、ドロヤナギ(泥柳、泥の木)を六角柱型に切った除災招福の護符「蘇民将来符」の頒布や福だるま市などがあり、多くの人でにぎわいをみせますが、この頒布行事は国の選択無形民俗文化財となっています。
また、この信濃国分寺境内には、長野県宝に指定される万延元年(1860)の本堂、国重要文化財に指定される室町時代の三重塔などがあるほか、蘇民将来と同一視される牛頭天王(ごずてんのう)信仰があったことを示す文明12年(1480)書写の「牛頭天王之祭文(さいもん)」なども残されています。
信濃国分寺の本堂の裏手にはハス田が整備されており、見頃を迎える毎年7月には、ミニコンサートや草花、地元農産物の販売などを内容とする「蓮のフェスタ in 信濃国分寺」が開催されます。
車椅子で旅行するポイント
移動のしやすさ
★★★★★
バリアフリーの状況
信濃国分寺は境内入口に駐車場があり、そのまま境内に車いすで段差なく移動できる。さすがに本堂に登るには階段があるが、境内については石畳で舗装されているので、特に移動に大きな支障はない。若干個室が狭いが境内には車いす用のトイレも設置されている。
周辺の名所・観光スポット
信濃国分寺資料館
旧信濃国分寺の伽藍があった、信濃国分寺史跡公園内に建つ市立博物館。信濃国分寺と上田地方の古代史について、模型やパネルなどを用いて解説している。館内には国指定史跡である信濃国分寺跡から発掘された軒丸瓦、鬼瓦、硯、和同開珎などといった遺物や、九九算刻書の平瓦(「七九六十三」と掛け算の九九が刻まれた8世紀後半の瓦)なども展示されている。信濃国分寺史跡公園は、信濃国分僧寺、国分尼寺の伽藍を発掘後に埋め戻した上で、当時の建物の配置などがわかるように芝生などで区画してある。
【身障者用トイレ、スロープあり。障害者手帳所持者および介助者1名まで無料】
■参考リンク:信濃国分寺資料館ホームページ