葛西神社
葛西神社は、東京都葛飾区の江戸川沿いに鎮座する、「祭囃子発祥の地」として知られる神社です。中世、葛西御厨の領主であった葛西清重が、葛西三十三郷の総鎮守として香取神宮を勧請したことがはじまりで、かつては「香取宮」と呼ばれていました。近年は金運上昇のパワースポットとしても取り上げられるようになり、伝統の酉の市や骨董市でもにぎわいます。
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 経津主神、日本武尊、徳川家康尊 |
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所在地 | 東京都葛飾区東金町6丁目10番5号 |
交通 |
JR常磐線・京成線「金町駅」から徒歩約10分 東京外環自動車道「松戸IC」から車で約5分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 神社境内に舗装された無料駐車場あり |
URL | 葛西神社 |
連絡先 |
葛西神社 03-3607-4560 |
歴史・由来
葛西神社は、東京都葛飾区の江戸川沿いに鎮座する、「祭囃子発祥の地」として知られる神社です。
江戸川はかつて太日川(おおいがわ、ふといがわ)と呼ばれ、下総国葛飾(かつしか)郡を分断していたことから、その東側を「葛東」、西側を「葛西」と呼び習わすようになりますが、葛西城を本拠としていた葛西清重は周辺の33か郷を伊勢神宮に寄進し、ここに「葛西御厨」が誕生します。
元暦2年(1185)、在地領主の葛西清重が下総国一宮である香取神宮を葛西御厨に勧請し、葛西三十三郷の総鎮守としたことが葛西神社のはじまりであるとされており、かつては「香取明神」「香取宮」などと呼ばれていました。
葛西清重は秩父平氏の一族ですが、鎌倉御家人として源頼朝の信任が篤く、奥州合戦により奥州藤原氏が滅亡した後は「奥州総奉行」として活躍し、その子孫は所領として新たに得た奥州に本拠を移し、最後の当主・葛西晴信が豊臣秀吉の小田原攻めに参陣せずに改易となるまで、長く奥州の有力大名として存続します。
また、中世には水上交通の要衝であった葛西御厨に関所が設けられ、領家口入職(りょうけくにゅうしき)として御厨と伊勢神宮との媒介をしていた占部氏が通行税として関銭を徴収し、伊勢神宮や香取神宮の費用に充てていたことが知られます。
江戸時代には、葛西神社(香取宮)の神主であった能勢環(のせたまき)が和歌にあわせて笛、鉦、太鼓などの音曲をつけたものが江戸一円に広まり、神田明神の「神田囃子」などとして祭りの際に奉納されるようになったことから、葛西神社は「祭囃子発祥の地」としても知られ、伝統の「葛西囃子」は東京都の無形民俗文化財に指定されています。
最近では金運にご利益のあるパワースポットとして『YAHOO!ライフマガジン』や徳光和夫の『路線バスで寄り道の旅』などのメディアで紹介されているほか、毎年11月酉の日の「酉の市」、毎月第1土曜日の「骨董市」などでは多くの人が訪れにぎわいます。
そのほか、境内には元禄年間に造立された魔除けのための珍しい「鍾馗石像」(葛飾区指定有形民俗文化財)、勝海舟が揮毫した「香取神社」社号碑(明治時代「葛西神社」と改称前のもの)、富士山信仰の様子を伝える富士塚のひとつ「葛西金町富士」などがあります。
車椅子で旅行するポイント
本殿 参集殿 祓所 葛西金町富士 三峰社 鍾馗像 勝海舟直筆の碑 葛西天神社 稲荷社 諏訪社 神明社 神楽殿 厳島神社 道祖神 福神殿 手水舎 大鳥居 正面鳥居 弥栄イチョウ 金町招魂社 東京都道451号江戸川堤防線 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
葛西神社の周囲は一方通行路のため、自動車で来る際には入口がややわかりづらいが、参集殿のある裏手から入ると境内の舗装された無料駐車場に駐車でき、駐車場の隅には身障者用トイレもある。境内は参道部分が石畳、他は薄く玉砂利が敷かれている程度であり、平坦なので移動はしやすい。ただし、本殿は正面が階段となっていて、賽銭箱は階段の上となる。
周辺の名所・観光スポット
柴又帝釈天
柴又帝釈天(題経寺)は、東京都葛飾区にある日蓮宗の寺院で、映画『フーテンの寅さん』の舞台としてお馴染みです。帝釈天参道にはだんご屋や料亭など昔ながらのお店が並び、縁日とされる庚申の日には多くの参詣があります。また、帝釈堂の壁面は法華経を題材とした彫刻が取り巻いており、彫刻ギャラリーとして公開されています。
【参道(二天門前)に多目的トイレあり】
■参考リンク:柴又帝釈天