高瀬神社
高瀬神社は、富山県南砺市の式内社で、一向一揆で門徒衆の支配下に入り禰宜が移住した時代もありましたが、江戸時代には加賀藩主・前田家の庇護を受けています。越中国一の宮ともいわれ、初詣や七五三の時期は参拝者も多く、6月の祈年穀祭では火縄授けの神事も行われています。
旅行先について
地図
旅行先の概要
御祭神 | 【主祭神】大国主命(大己貴命) 【配祀】天活玉命、五十猛命 |
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所在地 | 富山県南砺市高瀬291 |
交通 |
北陸自動車道「砺波IC」又は東海北陸自動車道「福光IC」若しくは「南砺スマートIC」から車で約15分。 JR城端線「福野駅」からタクシーで約7分。 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 神社西側に舗装済の無料駐車場あり |
URL | 越中一宮高瀬神社 |
連絡先 | 高瀬神社 0763-82-0932 |
歴史・由来
高瀬神社は、新潟県南砺市にある神社で、主祭神として大国主命を祀ります。
神代の昔、大国主命が北陸の開拓を終えて出雲に戻る際、この地に自らの御魂を鎮め祀られたとも、景行天皇の御代に創建されたともいわれます。
平安時代の『延喜式』神明帳に載る古社で、朝廷からも尊崇され、六国史にはしばしば神階授与の記事がみえるほか、文徳天皇の斉衝元年(854)には祢宜、祝が把笏に預かるなど破格の待遇を受けています。
『式内社調査報告書』では、平安時代の一時期、越中国府が砺波郡に移されたことから、砺波郡の高瀬神社が以後「越中国一の宮」を名乗ることになったといい、他に気多神社、射水神社、雄山神社も「越中国一の宮」と呼ばれることがあります。
また、由来不明ながら高瀬神を「高麗権現」と呼び、高麗国からの渡来神であるとの伝えもあり、中世には神仏習合のため寺坊300余を数える「高麗山深法寺勧学院」が別当寺となり繁栄していたといい、今も周辺には「大宮司」や「勧学院」などの地名が残っています。
しかし、文明13年(1481)には一向一揆により福光城主・石黒光義が敗れ自害、高瀬神社も焼失、門徒衆の支配下に入るに及び、大宮司の藤井家は雄神神社(砺波市)まで落ち延び、社勢は衰退します。
近世になって加賀藩前田家の崇敬を受けてようやく再興され、大正12年(1923)には国幣小社に列せられています。
年末年始の参拝者数は約20万人ともいわれ、初詣や七五三の時期はことに参拝者も多いほか、毎年6月の祈年穀祭では、神に奉納された忌み火を地元の人々が火縄に移して持ち帰り、稲の虫害を防ぐという「火縄授けの神事」も行われています。
車椅子で旅行するポイント
御本殿 巧霊殿 授与所 新参集殿 高瀬稲荷社 茶筅塚 宝物殿 手水舎 休憩所 車祓入口 富山県道284号井波井口城端線 国道471号 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
高瀬神社は境内西側に舗装された駐車場があるが、駐車場脇の新参集殿の入口に車椅子マークがついたインターホンがあるので、ここで職員を呼び出すことが可能となっている。そのほか東側に車祓入口が設けられており、交通安全祈祷の場合は境内の玉砂利の上を自動車で走行し、御本殿前の神橋付近まで乗り入れている。車祓入口脇の休憩所には多目的トイレが整備された。正面鳥居の石段も脇のスロープで回避できるが、その先の境内の多くの部分は玉砂利が敷かれているので、逆に車輪がスタックするおそれがあり注意が必要。ただし、授与所前の犬走りの土間はコンクリート、その先御本殿前まで石畳で舗装され平坦になっており、この部分が車椅子用の通路に充てられている。
周辺の名所・観光スポット
五箇山合掌造り集落
雪深い五箇山の風土に適応した急斜度の茅葺きの切妻屋根が特徴的な合掌造りの家並みがみられる。「菅沼合掌集落」と「平村相倉合掌造り集落」があり、ユネスコの世界遺産に登録されている。
【集落内は平坦な舗装道で身障者用トイレあり。菅沼集落は駐車場から集落までエレベーターあり。】
■参考リンク:五箇山合掌の里