縣神社

2016年12月15日神社

縣神社(あがたじんじゃ)は、千葉県大網白里市にある神社で、もとは県主の地位にあった古代豪族が奉斎したものを、戦国武将の酒井定隆が土気城の鬼門除けとして再興したものとされています。神社に伝わる牛若丸と弁慶を描いた絵馬は千葉県指定文化財となっているほか、境内には樹齢300年を超える杉の巨木「縣神社の大杉」がそびえています。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 大日霎尊(おおひるめのみこと)、橘比賣命(たちばなひめのみこと)、譽田別命(ほんだわけのみこと)
所在地 千葉県大網白里市土気飛地1876
交通 JR外房線大網駅から小湊鐵道バス(「季美の森行き」)経由で約6分、「季美の森入口」停留所下車、徒歩約10分
拝観料 無料
駐車場 神社入口に砕石敷の無料駐車場(30台)あり
URL
連絡先 縣神社 0475-72-2761

歴史・由来

縣神社(あがたじんじゃ)は、千葉県大網白里市の神社で、かつて存在していた千葉県山武郡土気町(現・千葉市緑区)の飛地に鎮座しています。

全国に「縣(県)神社」という名前をもつ神社はいくつかありますが、この神社についてもくわしい創建年次はあきらかではないものの、成務天皇の時代に、当地域の県主(あがたぬし)の地位にあった地方豪族が奉斎したものといわれており、明治初期に安川惟礼(安川柳渓)が著した『上総国誌』には土気県主がいたことが里伝に残るとされています。

のちに長享2年(1488)、上総酒井氏の祖とされる戦国武将の酒井小太郎定隆が土気城を再興したときに、城の鬼門除けとして、土気古城からこの地に神社を遷座させたといい、天正19年(1591)には徳川家康から朱印地5石を寄進されています。

縣神社の本殿は、江戸時代の天保14年(1843)に再建されたものと伝えられ、三間社流造りで各種の彫刻をほどこしたものとなっており、大網白里市の有形文化財に指定されています。

また、社宝である「板絵馬著色武者絵」は、京都の五条橋で対峙する牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶を描いた一対の絵馬で、豊臣秀吉の小田原征伐の際に滅ぼされた土気城主の酒井伯耆守康治が天正7年(1579)に奉納したとの墨書があり、年代のあきらかな絵馬としては千葉県内で最古のものとして、千葉県指定有形文化財(絵画)となっています。

さらに、境内にそびえる杉の巨木「縣神社の大杉」は、酒井定隆が神社再興のときにみずから植えたものといわれていますが、樹高15メートル、推定樹齢は300年以上で、大網白里市の天然記念物として指定されています。

車椅子で旅行するポイント

【1】いなほ農産物直売所近くの県道沿いの電柱に「←縣神社」の看板があるのでここを入る。途中の経路もわかりにくいので注意。
【2】縣神社の入口。鳥居から参道が延びているが、その脇に標石があり駐車場に入れるようになっている。
【3】右側が縣神社の参道。左側は駐車場。参道も途中までは車椅子で通行できないこともないが、自動車で駐車場内へ。
【4】縣神社の参道を進むと、途中は移動しにくい石畳や石階段となっているため、やはり車椅子のままでは不可。
【5】縣神社の駐車場内の道路をそのまま進むと脇道があり、神社の本殿裏手まで自動車を寄せることができる。
【6】縣神社の拝殿付近。周囲は参道部分が石畳、他は地面が露出している。自動車で近くまで来れば基本的に境内は平坦。





移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

縣神社には特にバリアフリーの設備はないが、階段のある正面の参道からではなく、裏手の道路からであれは、社殿のごく近くまで自動車を寄せることができるので、移動に特段の問題がない。ただし、看板はあるものの、入口が非常にわかりにくいこと、および身障者用トイレがある市街地の大網白里市役所までは4キロほど離れていることに留意する必要がある。

周辺の名所・観光スポット

白里海岸

白里海岸は、太平洋に面した九十九里浜の中央に位置する約3.5キロほどの海岸線を指し、夏のシーズンには白里中央海水浴場が開かれ、都心からほど近いことから多くの海水浴客を集めています。また、元旦の初日の出スポットとしても知られており、雄大な太平洋から昇る朝日を一目見ようと多くの人が詰めかけます。白里海岸にはハマヒルガオなどの砂丘の植物などが群生しているほか、貴重なコアジサシの営巣やアカウミガメの上陸・産卵などもみられます。
【九十九里有料道路(通称:波乗り道路)の駐車場付近の数か所に身障者用トイレ・スロープあり。オストメイト対応可】

■参考リンク:大網白里市>白里海岸

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このページの執筆者
@tabisora110