赤坂氷川神社
赤坂氷川神社は、東京都港区にある神社で、明治初年に「准勅祭社」と定められたうちの一つであり、いわゆる「東京十社」にもあたります。社殿は将軍・徳川吉宗の命により現在地に遷座した際に造営された権現造のものであり、もとは『忠臣蔵』の瑤泉院の実家にあたる浅野土佐守があった場所といいます。
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 素盞嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命 |
---|---|
所在地 | 東京都港区赤坂六丁目10番12号 |
交通 |
地下鉄千代田線「赤坂駅」、日比谷線・大江戸線「六本木駅」、南北線「六本木一丁目駅」からそれぞれ徒歩約8分 渋谷駅前から都営バスで約20分、「赤坂アークヒルズ」停留所下車、徒歩約8分 首都高速都心環状線「飯倉出入口」から車で約5分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 神社西側(一方通行注意)の車輌進入口から境内駐車場を利用可(基本的に祈祷車・結婚式での利用) |
URL | 赤坂氷川神社 |
連絡先 |
赤坂氷川神社 03-3583-1935 |
歴史・由来
赤坂氷川神社は、東京都港区にある神社で、東京奠都にあわせて明治初年に「准勅祭社」と定められたうちの一つであり、いわゆる「東京十社」にもあたります。
『江戸名所記』による、村上天皇治世の天暦5年(951)、近江国甲賀から修行のため東国を訪れていた蓮林僧正が霊夢を見て一ツ木村に祀ったのがはじまりで、その後の治暦2年(1066)の干魃で地元民が雨乞いをして効験をあらわしたため「氷川の明神」として崇められたとされています。
江戸時代に入ると、紀州藩主の徳川吉宗が将軍職を継ぐにあたり、紀州徳川家の江戸藩邸(現在の赤坂迎賓館)があった赤坂の産土神であった縁から、老中の水野忠之(水野監物)に命じて新たに社殿を造営させることにし、享保15年(1730)に現在地に遷座しています。
したがって、赤坂氷川神社の権現造の社殿はこの当時のものであり、東京都の有形文化財としての指定を受けているほか、格天井は日本画家の河合玉堂の弟子であった長華崖(ちょうかがい)が描いた花鳥画で埋められています。
遷座以前の元禄時代、この地には三次藩主・浅野土佐守(浅野長照)の屋敷が置かれており、『忠臣蔵』で有名な浅野内匠頭(浅野長矩)夫人である瑶泉院は、浅野内匠頭の切腹後、実家であるこの屋敷に一時引き取られていましたが、現在は建物は跡形もなく、案内板が境内にある程度です。
この赤坂氷川神社の祭神は素盞嗚尊ほか出雲系の神々で、埼玉県さいたま市大宮区の氷川神社を本社としており、特に素盞嗚尊は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の生贄にされかけた奇稲田姫命を助けて結婚したことから、縁結び・良縁祈願に御利益があるとされています。
また、境内にある「四合(しあわせ)稲荷神社」は、明治31年(1898)、赤坂周辺にあった古呂故(ころこ)稲荷、地頭(じぬし)稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷の4社を合祀したもので、赤坂氷川神社の近くに住居を構えた勝海舟により名付けられたといい、その後に鈴降稲荷神社、縁起稲荷神社、明徳稲荷神社も合祀されています。
車椅子で旅行するポイント
社殿 参集所 社務所 収蔵庫 額堂 稲荷社 桜門 手水舎 祭器庫 車両進入口 九神社 大銀杏 西行稲荷 四合稲荷 氷川坂 公衆トイレ 本氷川坂 |
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
赤坂氷川神社は坂の多い地形の場所に位置しているため、自動車でのアクセスでなければ行きにくいが、自動車であれば車輌進入口から境内に乗り入れができる。あまり幅は広くないが、境内の参道部分だけは石畳があるので移動は可能。四合稲荷は崖下にあるため東側公道から回り込む。境内東側の入口も車1台分程度の間口はある。
周辺の名所・観光スポット
日枝神社
日枝神社は、東京都の永田町、国会議事堂の裏手に鎮座する神社で、徳川家康以前に江戸城を築いたことで知られる太田道灌が勧請したとされています。明治の東京奠都のときに、赤坂氷川神社と同様に「准勅祭社」の社格に列しています。神田明神の「神田祭」、深川八幡の「深川祭」とともに「江戸三大祭」のひとつとされる「山王祭」が行われる神社でもあります。
【身障者用トイレ、身障者用駐車場あり。ただし、境内への入口は急な坂道か石段となるため、自動車で乗り入れる必要がある。】
■参考リンク:日枝神社