二上射水神社

神社

「二上射水神社」は、富山県高岡市にある神社で、二上大神を祀ります。古くから二上山麓に鎮座し、近世までは神仏混淆で祀られていましたが、明治時代の廃仏毀釈の流れの中で、明治8年(1875)に高岡城跡に遷座することとなりました。その後、二上村の氏子たちの請願により、旧社を遷座後の射水神社の分社として扱うことになり、戦後「越中総社射水神社」と称して現在に至ります。

旅行先について

地図


(この地図の緯度:36.7780710165666, 経度:137.0177568116407

旅行先の概要

御祭神 二上大神
所在地 富山県高岡市二上1519
交通 能越自動車道「高岡北インターチェンジ」から車で10分
JR城端線・氷見線・あいの風とやま鉄道「高岡駅」から加越能バス(富大高岡循環線)乗車15分、「二上町」バス停下車、徒歩10分
拝観料 無料
駐車場 境内に砕石を敷いた無料駐車場あり
URL
連絡先 越中総社射水神社(二上射水神社) 0766-25-1766

歴史・由来

「二上射水神社」は、富山県高岡市にある神社で、二上大神を祀ります。

二上山を神体山とするこの神社は、創建年代は不明ですが、上古から二上山麓に鎮座していたものとみられ、『続日本紀』には宝亀11年(780)に二上神に対して神階授与が行われたとあります。また、平安時代の『延喜式』では、射水神社を越中国唯一の名神大社としています。

神仏習合の時代には二上権現と呼ばれ、別当寺として養老寺の社僧が勤仕していました。江戸時代には越中四郡から各戸1升ずつの知識米を徴収する権限を加賀藩主・前田利長に認められており、山伏姿に大きな袋を背負った社僧が徴収に訪れると村人たちは大いに恐れたといいます。

明治時代に廃仏毀釈の風潮が巻き起こると、これまでの社僧の専横への反発もあって、射水神社は仏教色の濃い二上山麓の地を捨てて高岡城の本丸跡に遷座することになりました。しかし、産土神を奪われることになった二上村の氏子たちは納得せず、明治10年(1877)に旧社を遷座後の射水神社の分社として扱うことで落ち着きました。

戦後になって、高岡城跡に鎮座する「越中総鎮守射水神社」に対し、二上山麓のほうは「越中総社射水神社」を称して独立し、現在に至っています。

この神社には、境内の三本杉の前に臨時の祭壇を設ける「築山行事」が残っており、常設の社殿を設ける今日のような神社が成立する以前の太古の祭祀のあり方を伝える貴重な行事として、富山県指定無形民俗文化財に指定されています。「築山行事」の祭壇は、屋根に天狗を載せた祠の中に御幣を安置したもので、祭祀が終わればすぐに取り壊すのが習わしです。

また、ケヤキの一木造で高さ121センチメートルもある、平安時代の作とみられる鉈彫りの「木造男神坐像」を境内の御神像庫に安置しており、現存する神像彫刻としては全国的にも最大級の優品として、国重要文化財に指定されています。

車椅子で旅行するポイント

【1】二上射水神社の正面は石段で、向かって右手に境内に続く舗装された車道がある。
【2】車道の入口は石段手前のコンクリート舗装された参道に接続しており、石段を迂回することが可能である。
【3】以後の参道は玉砂利敷きで、拝殿に向かって100メートルほど続いている。
【4】自動車のまま車道を進むと砕石を敷いた境内駐車場に至り、ここにも参道に降りるスロープがある。
【5】二上射水神社の拝殿手前の石段は左手のコンクリート製のスロープで迂回可能。
【6】二上射水神社の拝殿、資料館などは玉砂利が敷かれた同一区画にあり、正面の参道部分のみ舗装されている。





境内配置図 [凡例]
社号標 手水舎 富山県道32号小矢部伏木港線 石仏 トイレ 三本杉 神殿 拝殿 御神像庫 築山収蔵庫 二上資料館 社務所 慈尊院

移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

二上射水神社は境内に砕石敷きの駐車場があるほか、参道の石段部分には迂回できるコンクリート製のスロープが設置されている。ただし、境内に身障者用トイレはなく、参道100メートルほどの部分は足元が玉砂利となっている。

周辺の名所・観光スポット

高岡古城公園

高岡市の市街地のほぼ中心部に位置し、加賀前田家2代当主・前田利長が築いた高岡城の城跡を、明治以降に公園として市民に開放したもの。城内には射水神社のほか、高岡市立博物館、古城公園動物園などが立地し、水堀には遊覧船が運行している。【北口駐車場に身障者用駐車区画・エレベーター、園内各所に多目的トイレ、施設入口にスロープあり。遊覧船は車椅子のままでは困難だが障害者及び付添1名半額。】
■参考リンク:富山県高岡市にある自然公園::高岡古城公園 公式ウェブサイト

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このページの執筆者
@tabisora110