日吉大社
比叡山の麓にある日吉大社は全国3,800余の日吉神社の総本宮で、『古事記』にも記載があります。最澄が延暦寺を建立した後は地主神として崇められました。織田信長の焼き討ちを経て復興された本殿建築は国宝に指定されています。
旅行先について
地図
旅行先の概要
御祭神 |
【西本宮】大己貴神 【東本宮】大山咋神 |
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所在地 | 滋賀県大津市坂本5-1-1 |
交通 |
JR「比叡山坂本駅」から江若バス(日吉台線)経由で約6分、「日吉大社前」停留所下車 名神高速道路「京都東IC」から西大津バイパス(国道161号)経由、車で約20分 |
拝観料 | 入苑協賛料 大人(中学生以上)300円、小人(小学生)150円 |
駐車場 | 東受付経由で境内に未舗装駐車場、社務所前に身障者用駐車場あり |
URL | 日吉大社 |
連絡先 | 日吉大社 077-578-0009 |
歴史・由来
比叡山の一角、八王子山(牛尾山)の麓にある日吉大社は、全国3,800余の日吉神社、日枝神社、山王神社の総本宮で、地主神である大山咋神と妻の鴨玉依姫神を祀ったのが始まりとされ、早くも『古事記』にその記載があります。
天智天皇7年(668)には、大津京鎮護のために大和国(奈良県)の大神神社から大己貴神が勧請され、これが大山咋神などを祀る現在の東本宮に対する西本宮となります。
平安京遷都後は、日吉大社が京都の鬼門に当たることから鬼門除けの重要な社とされ、桓武天皇は日吉大社に参籠の上神輿2基を寄進したといい、『延喜式』神名帳では名神大社に列しています。
伝教大師最澄が比叡山延暦寺を創建した後も、中国の天台山で鎮守として祀られていた道教の神・山王元弼真君に倣い日吉山王権現として崇められ、天台宗の教義とあいまって、山王権現を釈迦の垂迹とする山王神道が成立します。
また、嘉保2年(1094)を嚆矢として、中世にはしばしば比叡山の僧兵たちが神輿を奉じて強訴に及び、白河上皇をして「わが心にかなはぬもの」と嘆かせました。
元亀2年(1571)、織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰しますが、神使の猿とゆかりがある豊臣秀吉や徳川家康らにより復興が進められ、現在に残る本殿は日吉造という特殊な建築様式で、国宝に指定されています。
この日吉大社の例祭は「山王祭」とよばれ、主として4月上旬の期間、鎧を身につけた稚児が練り歩く「花渡り式」や神輿を激しく降り落とす「宵宮落し」をはじめとするさまざまな神事が行われます。
車椅子で旅行するポイント
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
身障者用トイレは「赤鳥居」付近の県道沿いに1箇所ある。日吉大社には自動車で「東受付」から進入すれば、「社務所」前の身障者用駐車場に駐車できるようになっている。地面は玉砂利が敷かれているが、この身障者用駐車場からの移動距離はそれほど長くはないため、「西本宮」周辺の社殿については車椅子でも拝観可能である。「東本宮」についても、いちおうは階段のないルートがあるが、途中は砂利敷の坂道のため、行って行けなくはないものの、「西本宮」よりははるかに困難度が高い。
周辺の名所・観光スポット
坂本城址
琵琶湖西岸に位置する明智光秀の居城があった場所で、城内に琵琶湖の湖水を取り入れた水城となっていたため、現在でも水際に石垣の一部を見ることができる。一帯は坂本城址公園として整備され、明智光秀の銅像や散策路が設けられている。
【身障者用トイレ・駐車場あり】
■参考サイト:近江の城50選>坂本城跡