茨城県護国神社

2018年10月27日神社

茨城県護国神社は、茨城県水戸市に鎮座する神社で、江戸幕末から昭和にかけての戦没者を祭神として祀っています。明治初期に常磐神社の境内に創建された鎮霊社がその起源で、昭和16年(1941)に偕楽園内の桜山に遷座しました。戦後の一時期には「桜山神社」を名乗っていましたが、サンフランシスコ講和条約によりわが国が独立を回復した後、社号も戦前の「茨城県護国神社」に戻されました。

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旅行先の地図

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旅行先の概要

御祭神 茨城県下の戦没英霊63,494柱
所在地 茨城県水戸市見川1-2-1
交通 JR常磐線・水郡線・水戸線・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線「水戸駅」(北口)から茨城交通バス(桜山経由)で約15分、「桜山」停留所下車、徒歩約5分
常磐自動車道「水戸IC」から車で約20分
拝観料 無料
駐車場 境内に砕石敷の無料駐車場あり
URL
連絡先 茨城県護国神社 029-241-4781

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歴史・由来

茨城県護国神社は、茨城県水戸市に鎮座する神社で、江戸幕末から昭和にかけての茨城県下全域にわたる戦没英霊63,494柱を祭神として祀っています。

江戸時代の水戸藩は尊王攘夷運動の精神的支柱となる「水戸学」の本場でしたが、明治維新へと向かう激動の時代には、「安政の大獄」で家老・安島帯刀が切腹となり、「天狗党の乱」では藩士・藤田小四郎が斬罪となるなど、藩内に多くの犠牲を出してきたことも事実です。

そこで明治11年(1878)、水戸藩公認の漢方薬「司命丸」の製造で財を成した勤王家の髙倉凞次(ひろつぐ)らの奔走により、明治維新前後に国難に殉じた水戸藩士らおよそ1,800柱を祀る「鎮霊社」が常磐神社境内に創建されました。

この「鎮霊社」は、もとは水戸学の大家の藤田東湖を祀る「東湖神社」(昭和18年創建)が現在鎮座している場所にありましたが、その後に日清戦争・日露戦争をはじめとする茨城県内の戦没者が逐次合祀されて手狭になると、昭和16年(1940)に内務省告示に基づく指定を受けて「茨城県護国神社」と改称し、偕楽園内の桜山へと遷座します。

戦後はGHQによる「神道指令」が出されるなかで、神社存続のために地名をとって「桜山神社」と一時改称しますが、サンフランシスコ講和条約によりわが国が独立を回復した後の昭和29年(1954)には戦前と同じ社号に戻されました。

現在の護国神社のある場所は千波湖を見下ろす桜の名所にもなっており、毎年4月10日には「春季例大祭」が斎行されます。また、7月15日には境内に約3千もの提灯が献灯される「みたま祭」、8月15日の終戦記念日には「終戦記念祭」が行われています。

車椅子で旅行するポイント

茨城県護国神社_1.jpg 【1】境内直下に舗装済み・身障者区画付きの偕楽園桜山駐車場があり、多目的トイレが併設されている。
茨城県護国神社_2.jpg 【2】多目的トイレ内部(手すり・ベッドあり)
茨城県護国神社_3.jpg 【3】茨城県護国神社の入口。正面鳥居からの参道は石段につき、左手のしあわせ坂から自動車で進入する。
茨城県護国神社_4.jpg 【4】コンクリート舗装された坂の突き当たりは砕石敷の第1駐車場と社務所があり、正面参道ともつながっている。
茨城県護国神社_5.jpg 【5】正面参道からは石畳の参道が拝殿前まで延びているが、経路に石段がある。
茨城県護国神社_6.jpg 【6】社務所前または裏の第2駐車場からは石段を避けて拝殿前に至る経路がある。
茨城県護国神社_7.jpg 【7】拝殿脇に木製スロープがあり賽銭箱前やお守り授与所まで移動することができる。


茨城県護国神社境内図

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境内配置図 [凡例]
社殿 桜ノ宮 さくら山遺品館 社務所・参集殿 古札納所 手水舎 第1・第2駐車場 ペリリュー島守備部隊鎮魂碑 しあわせ坂 鳥居 偕楽園桜山第1・第2駐車場 丸山淵明堂跡 梅桜橋(エレベーター) 玉龍泉 偕楽園公園 沢渡川 徳川ミュージアム


移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

茨城県護国神社の周囲は偕楽園公園となっているため、公園内には多目的トイレなどの施設が整備されている。護国神社の境内へは正面参道の石段ではなく、しあわせ坂から車両で進入し、砕石敷の第1駐車場か、この駐車場を横切って裏手に回り第2駐車場のいずれかに駐車する。駐車場から石段を避けて社殿下まで来ると、簡易なスロープがあり壇上に移動することができる。

周辺の名所・観光スポット

偕楽園

「偕楽園」とは、金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ「日本三名園」の一つで、江戸時代の天保13年(1842)に水戸藩第9代藩主・徳川斉昭によって造営された大名庭園のことをいいます。『孟子』梁惠王章句上にある一節「古之人与民偕楽、故能楽也」(古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり)がその語源です。他の多くの大名庭園とは異なり、その理念に基づき、日付を限って一般の領民にも開放されていました。
千波湖を望む園内には約100種3,000本の梅が植栽されており、当時から観賞用とともに梅干しを「軍旅之用」として充てる実利的な目的があったことが徳川斉昭撰文の「種梅記」の碑からわかります。現在は2月下旬から3月にかけて「水戸の梅まつり」が開催されており、全国から訪れる多く観梅客でにぎわいます。
また、空襲で焼失後に復元された茶室や広間などを含む建物「好文亭」、「水戸八景」の一つにあたる景勝地「僊湖暮雪」の碑、寒水石の井筒から渾々と水が湧く井戸「吐玉泉」、黄金色に光る藻類「ヒカリモ」の生息地で水戸城の抜け穴説もある謎めいた南崖の洞窟などの見どころもあります。

【身障者用トイレあり。ただし、「好文亭」は階段あり不可。】

■参考リンク:偕楽園

このページの執筆者
@tabisora110