諫早神社

2023年8月25日神社

諫早神社は、長崎県諫早市にある神社です。神亀5年(728年)、行基菩薩がこの地に石祠を建てたのがはじまりとされています。九州総守護の「四面宮」として崇敬され、明治時代の神仏分離により神社として独立しました。境内のクスノキの大木は長崎県の天然記念物に指定されています。

旅行先について

地図


(この地図の緯度:32.848389, 経度:130.043111

旅行先の概要

御祭神 天照大御神・大己貴大神・少彦名大神
【配祀】白日別命・豊日別命・豊久土比泥別命・建日別命
猿田彦大神・八幡大神・天満宮・御霊宮・稲荷社・太子堂
所在地 長崎県諫早市宇都町1-12
交通 JR・島原鉄道「諫早駅」から徒歩約5分
長崎自動車道「諫早IC」から車で約5分
拝観料 無料
駐車場 境内前面道路沿い、及び境内南側に舗装された無料駐車場あり【身障者区画1台】
URL
連絡先 諫早神社 0957-22-2073

歴史・由来

諫早神社は、長崎県諫早市にある神社で、旧県社に当たります。

神亀5年(728年)、聖武天皇の勅願により、行基菩薩がこの地を訪れ、「四面宮」と称して石祠を建てたのがはじまりとされています。

鎌倉時代の建長年間(1249~1256年)、領主の西郷石見守が社殿を建立し、天正15年(1587)には龍造寺家晴が境内を拡張の上、社殿を再建したといい、以後、龍造寺一族の諫早家の宗廟として崇敬されました。

『日本書紀』に載る国生み神話において、九州は「身一而有面四」、すなわち1つの胴体に4面の顔をもって生まれ、それぞれ白日別・豊日別・建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)、建日別と称したとあり、「四面宮」の名称は九州総守護のこの4柱の神々を祀ることによります。

『歴代鎮西要略』は、大宝元年(701)、雲仙岳に温泉(うんぜん)神が垂迹し、「分身末社」として山田神・千々石神・伊佐早(諫早)神・有江神が鎮座した話を載せており、もともと「四面宮」は諫早以外も含めてこの4社に祀られていました。

江戸時代までは神仏混淆の霊場であり、仁和寺末の荘厳寺が別当寺として建てられていましたが、明治時代になると、神仏分離令によって四面宮の境内に並んでいた荘厳寺の本堂は解体され、本尊も安勝寺に移されました。
同時に、境内にあった八幡宮なども廃されたため、これらに祀られていた神々も合祀されています。

明治5年(1872)、「四面宮」から「諫早神社」と改称し、その後に旧社格制度でいう郷社、県社と進んで現在に至ります。

境内には高さ2、30メートルほどのクスノキの大木があり、長崎県の天然記念物に指定されています。

車椅子で旅行するポイント

【1】諫早神社の正面参道は中央に自然石が埋め込まれるなど多少の段差があるが舗装されている。
【2】境内南側には舗装された駐車場があり、身障者用区画が設けられている。
【3】駐車場からコンクリート舗装された参道が続き、参集殿前にもスロープがある。
【4】コンクリート舗装の参道から参集殿前を経て社殿横に出られる。





境内配置図 [凡例]
御神木 四面橋交差点 本明川の飛び石 手水舎 トイレ 参集殿・社務所 社殿 県道16号線 国道207号 御神苑 島原鉄道 JR長崎本線

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

諫早神社には身障者用駐車場とスロープが設置されており、駐車場からコンクリート舗装の参道を通って社殿前に至ることができる。トイレは身障者用ではないが、内部に手すりが設けられている。

周辺の名所・観光スポット

眼鏡橋

天保10年(1839)、佐賀藩の家老職を代々務めていた諫早家により本明川に架けられた石造りのアーチ橋で、当初の場所から移設され、現在は旧高城跡に当たる諫早公園内にある。石橋としては日本で最初に国の重要文化財に指定された。
【身障者用トイレあり】

■参考リンク:ながさき旅ネット>眼鏡橋(諫早公園内)

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このページの執筆者
@tabisora110