夷隅神社
夷隅神社は、千葉県夷隅郡大多喜町にある神社で、古くは「牛頭天王宮」と呼ばれました。創建時期は不明ですが、天正年間に里見家の武将・正木時尭が再建したといい、これ以降も初代の大多喜城主・本多忠勝をはじめ歴代城主からの崇敬を受けています。現在の本殿は江戸時代の貞享年間のもので大多喜町の指定文化財です。かつての「六斎市」も戦後に再興されて境内で行われるようになり、当日は多くの人でにぎわいます。
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 素戔嗚尊、稲田姫命、大己貴命 |
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所在地 | 千葉県夷隅郡大多喜町新丁63-12 |
交通 |
いすみ鉄道「大多喜駅」から徒歩約8分、または小湊鐵道バス(大多喜車庫行き)経由で約1分、「大多喜車庫」停留所下車、徒歩約1分 首都圏中央連絡自動車道「市原鶴舞IC」から車で約20分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 境内裏手に砕石が敷かれた無料駐車場あり |
URL | 大多喜町>夷隅神社(朝市) |
連絡先 | 宮司宅(最上家) 0470-86-4674 |
歴史・由来
夷隅神社(いすみじんじゃ)は、千葉県夷隅郡大多喜町に鎮座する神社で、正式には「夷灊神社(いしみじんじゃ)」といいます。
創建時期は不明ですが、奈良時代の養老2年(718)の遷座とされており、平安時代の長久2年(1041)に神社が再建され、安土桃山時代にあたる天正15年(1587)にも里見家の武将・正木大膳亮時尭が根古屋城主のときに再建されたといわれています。
豊臣秀吉による小田原征伐と徳川家康の江戸入府に伴い、この一帯の新たな領主となった「徳川四天王」の一人・本多忠勝は、根古屋城に代えて新たに大多喜城を築城して初代城主となりますが、これ以降も歴代城主から武運長久の祈願社として崇敬を受けました。
江戸時代には「牛頭天王宮」と呼ばれ、大多喜城下の新丁(しんまち)はじめ7か町の鎮守とされており、貞享2年(1685)に本殿が、安永5年(1776)に幣殿および拝殿が建立され、これらの社殿は大多喜町指定文化財となっています。
明治元年(1868)に現在の「夷灊神社」に改称され、その後村社、次いで郷社の社格を得ており、この地方における素戔嗚尊を祀る代表的な神社というところから、特に縁結びの御利益をもって知られています。
また、一般に本多忠勝は大多喜城下に「六斎市」を開設したといわれており、江戸時代にわたって続いてきましたが、その後廃絶を経て戦後になって再興され、現在では市が立つ場所が夷隅神社境内に統一されています。
毎月の五十日(ごとうび:5日・10日・15日・20日・25日・30日)の午前8時から正午ごろまで、青果や鮮魚などを扱う店舗が出店し、地元の常連客から観光客までの多くの人出でにぎわいます。
車椅子で旅行するポイント
社殿 子安大明神 手水舎 太鼓橋 夷隅神社水路 忠魂碑 新丁青年館 参道 鳥居 大屋旅館:国登録有形文化財 夷隅神社バス停 宍倉弥兵衛商店:国登録有形文化財 小高内科外科 大多喜車庫バス停 新丁交差点 千葉県道231号大多喜停車場線 大多喜郵便局 無料休憩所 御菓子司津知家 豊乃鶴酒造:国登録有形文化財 忠勝公園 大多喜町役場 |
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
夷隅神社は正面の大屋旅館側からは自動車で進入できないので、裏手の宍倉弥兵衛商店側から境内駐車場に進入する。大多喜町内には観光客向けの案内板が随所に設置されているが、徒歩での散策用とおぼしく小型で視認性に乏しいため、自動車のドライバーにとってはかなり不親切な印象を受ける。この裏手の道路の進入口もわかりにくく、なおかつ一方方向路なので注意のこと。境内は基本的に平坦なので裏手からであれば移動も比較的しやすい。身障者用トイレは300メートル南側、良玄寺脇の忠勝公園内にあるが、ここも進入路がわかりにくい。
周辺の名所・観光スポット
養老渓谷
養老渓谷は、房総半島の奥深くの養老川上流に位置する渓谷です。小湊鉄道の養老渓谷駅から粟又の滝(養老の滝)方面に向かって土産物店や温泉旅館が点在し、晩秋には周囲の山一面に紅葉が見られ、ハイキング客にも人気がある観光スポットの一つです。温泉はヨード分を含んだ「黒湯」とよばれる独特の濁り湯となっています。
【車椅子対応の宿泊施設あり。身障者用トイレは「養老渓谷やまびこセンター」「町営粟又駐車場」が利用可。「栗又の滝」見学は道路沿いの「粟又の滝展望台」のみで「粟又の滝自然遊歩道」は階段のため車椅子不可。】
■参考リンク:養老渓谷観光協会