板倉雷電神社
板倉雷電神社は、群馬県邑楽郡板倉町板倉にある神社です。利根川流域に分布する雷電神社の総本社となっており、茨城県水戸市の別雷皇太神、つくば市の金村別雷神社と合わせて「関東三雷神」の一つに数えられます。後に江戸幕府の5代将軍となった徳川綱吉により社殿が修築されており、群馬県の重要文化財に指定されています。
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 火雷大神、大雷大神、別雷大神 |
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所在地 | 群馬県邑楽郡板倉町板倉2334 |
交通 |
東武日光線「板倉東洋大前駅」(西口)からつつじ観光バス(館林・板倉線)経由で約9分、「板倉町役場入口」停留所下車、徒歩約13分 東武伊勢崎線「館林駅」(東口)からつつじ観光バス(館林・板倉線)経由で約26分、「板倉町役場入口」下車、徒歩約13分 東北自動車道「館林IC」から車で約10分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 境内裏手に砕石敷の参拝者駐車場、南側に舗装済の「板倉中央公園」駐車場あり。ともに無料で駐車可。 |
URL | 雷電神社 |
連絡先 | 雷電神社 0276-82-0007 |
歴史・由来
板倉雷電神社は、群馬県邑楽郡板倉町板倉にある神社です。利根川流域に分布する各地の「雷電神社」の総本社となっており、茨城県水戸市の「別雷皇太神」、つくば市の「金村別雷神社」と合わせて「関東三雷神」の一つに数えられます。
推古天皇の時代、後に『万葉集』にも詠まれた伊奈良(いなら)の沼で聖徳太子が禊をしたところ、天から雷神の声を聞き、沼の小島に祠を建ててこれを祀ったことが神社のはじまりで、桓武天皇の時代には東征のためこの地を訪れた坂上田村麻呂が勅命を受けて宮殿を造営したと伝えられています。
平安後期以前の成立とみられる『上野国神名帳』には「従四位上火雷明神」と記されるなど古くから崇敬されており、神社に今も残る棟札からは、戦国時代の天文16年(1547)、地頭の篠崎三河守が社殿を再建し、その後も長尾景長・顕長らが再建したことがわかります。
江戸時代の延宝2年(1674)には、当時の上野国館林城主で、後に5代将軍に就任する徳川綱吉が社殿を再建しており、これ以降は左三つ巴の神紋にあわせて徳川家を象徴する三ツ葉葵も下賜されて神社の社殿などに使われるようになります。
また、昭和の干拓以前の神社や参道の周囲は沼地の水で囲まれており、雷雨をもたらす雷神が稲の生育を助け、旱魃の際には雨乞いの願いも叶える御利益があるとして、江戸時代を通じて広く農民からの信仰を集めて栄えました。
現在の本殿は天保6年(1835)、奥宮は慶応4年(1868)に造営されたもので、本殿周囲には名工とうたわれたニ代目石原常八主信の手による浦島太郎、素戔嗚尊、天狗と牛若丸、神功皇后などをモチーフにした豪華な彫刻が並び、群馬県重要文化財に指定されています。
本社の裏手に鎮座する末社・八幡宮稲荷神社は、篠崎三河守が造営した戦国時代当時のもので、群馬県内でも最も古い建物となっており、国重要文化財に指定されています。これは本殿左右のほか正面の中心にも柱が建つ「二間社入母屋造」という全国的にも珍しいつくりです。
板倉雷電神社の参道沿いには、江戸時代から続く地元の名物であるナマズ料理を扱う店舗が今でも営業しており、ナマズの天ぷら、ナマズのたたき揚げなどのメニューを楽しむことができます。
車椅子で旅行するポイント
本社:群馬県重要文化財 奥宮:祭神伊邪那美大神、群馬県重要文化財 東の神馬:足腰守護 西の神馬:目の守護 八幡宮稲荷神社:国重要文化財 天満宮(右)・金刀比羅神社(中)・稲荷神社(左) 社叢 授与所 手水舎 社務所:撫でると地震を避け自信が湧く「なまずさん」の銅像が置かれている 伊奈良神社 白龍弁才天 板倉中央公園 雷電池 トイレ 小林屋・林屋:ともにナマズ料理店 群馬県道364号除川板倉線 群馬県道365号板倉籾谷館林線 板倉町役場 |
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
板倉雷電神社は雷電池を見下ろす高台にあり、正面参道を通ってナマズ料理の小林屋・林屋前あたりまで自動車で乗り付けることは可能だが、それ以降の経路はすべて石段となるので、手すりを伝って自力歩行する以外の手段では本社や奥社を参拝することができない。
もっとも本社の拝殿はかなり大きく、石段の下からでもよく見渡すことができる。裏手の参拝者駐車場からも横向きにはなるが奥社の彫刻などを遠望することはできる。
駐車場は神社参拝者用の駐車場と隣接の板倉中央公園の駐車場のいずれも無料で利用可となっている。身障者トイレは500メートル西側の板倉町役場庁舎内にある。
周辺の名所・観光スポット
群馬県板倉町、栃木県栃木市、埼玉県加須市の三県境
群馬県板倉町、栃木県栃木市、埼玉県加須市の三県境は、全国で唯一といえる歩いて行ける平地に存在する3つの県の境界です。全国的に見れば三県境は40か所あまり存在するといわれますが、いずれも山地や水面上であって、人が気軽に3県を歩いて移動できる環境にはありません。この三県境ももとは「海老瀬の七曲がり」と呼ばれる渡良瀬川の流路にあたっていましたが、その後の河川改修や耕地整理によって現在のような環境が整いました。近年では板倉町、栃木市および加須市により遊歩道や案内板が整備されています。
【特別な設備はないが砕石を敷いた駐車場とカラーアスファルト舗装の平坦な遊歩道がある】
■参考リンク:歩いて行ける!「三県境」