射楯兵主神社

2023年8月15日神社

射楯兵主神社は、兵庫県姫路市にある神社です。この地域に祀られていた兵主神と射楯神がいつの頃からか合祀され、平安時代に『延喜式神名帳』が編纂されたときには「射楯兵主神社」としてその名を記されるに至ったといわれています。後に播磨国内の大小明神174座を合祀して播磨国総社とも呼ばれるようになりました。この神社には60年ごとに斎行される「一ツ山大祭」、20年ごとに斎行される「三ツ山大祭」といった特殊祭事が伝わっています。

旅行先について

地図


(この地図の緯度:34.834, 経度:134.696611

旅行先の概要

御祭神 射楯大神、兵主大神
所在地 兵庫県姫路市総社本町190
交通 JR「姫路駅」から徒歩約15分
国道2号姫路バイパス「姫路南ランプ」から車で約10分
拝観料 無料
駐車場 神門南側に舗装済みの有料駐車場あり(1時間200円なるも参拝者は30分無料)
URL
連絡先 射楯兵主神社 079-224-1111

歴史・由来

射楯兵主神社は、兵庫県姫路市にある神社で、東殿に射楯いたて神(五十猛神)を、西殿に兵主ひょうず神(大己貴神)を祀ります。

師安元年(私年号、欽明天皇25年(564))、播磨国飾磨郡伊和里の水尾山に兵主神が鎮座したのがはじまりといわれます。

また、『播磨国風土記』の中には、神功皇后の三韓征伐の際に船先で案内をした「伊太代いたて之神」が鎮座したため飾磨郡因達いたて里という地名が生まれたとする説話があり、この射楯神がいつしか兵主神と合祀して「射楯兵主神社」が誕生したとみられています。

平安時代中期に編纂された『延喜式神名帳』には、播磨国飾磨郡の射楯兵主神社が小社として登載されており、既にこの頃には射楯神と兵主神が合祀されていたことがわかります。

養和元年(1181)、播磨国内の大小明神174座を境内に合祀したことから、「播磨国総社」とも呼ばれるようになり、中世にはこちらの呼称のほうが一般化します。

そして天正9年(1581)、豊臣秀吉が姫路城を修築するにあたって現在地に遷座し、歴代の姫路城主からも崇敬を受けました。

この神社には60年ごとに斎行される「一ツ山大祭」、20年ごとに斎行される「三ツ山大祭」といった特殊祭礼が伝わっており、巨大な「やま」を造って神霊の依代とするなど、古い信仰の形態を残しているところが注目されます。

車椅子で旅行するポイント

【1】射楯兵主神社の神門南側には舗装された有料駐車場がある。ただし、一般参拝者は30分無料。
【2】射楯兵主神社の神門には5段の石段があり車椅子での進入が困難である。
【3】車祓所脇の西側出入口からは石段を迂回し車椅子で境内に進入できる。
【4】境内の参道は石畳で舗装され、多少の段差はあるもののおおむね平坦。
【5】射楯兵主神社の拝殿付近。賽銭箱の手前まで石畳が広がっている。





境内配置図 [凡例]
本殿 拝殿 総社会館 恵美酒社・住吉社 車祓所 長壁神社 厳島社 祖霊社 姫道天神社 粟島社 稲荷社 戸隠社 神明社 鹿島社 琴平社 鬼石 納札所 長壁門 神門 社務所 手水舎 長生殿 案内社八幡宮 東播総神殿 十二社合殿 西播総神殿 

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

射楯兵主神社には特段の設備があるわけではないが、正面神門の石段を除けば参道のほとんどが石畳で舗装されおおむね平坦となっているので移動の支障がない。

周辺の名所・観光スポット

兵庫県立歴史博物館

「兵庫県立歴史博物館」は、国の特別史跡・姫路城跡内に昭和58年(1983)開館した博物館施設で、「白鷺城」の美称がある姫路城をイメージした設計となっており、ティーラウンジのガラス面には姫路城天守が外観が映り込むように工夫されている。兵庫県の歴史的なあゆみ、仏教文化、城郭、生活民俗などについて常設展示するほか、随時企画展示も実施している。
【身障者用トイレ・スロープ・エレベーター・車椅子貸出あり。隣接の城の北駐車場に身障者用駐車区画(3台)あり。障害者は手帳提示で料金減免、介助者1人まで無料。】

■参考リンク:兵庫県立歴史博物館

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このページの執筆者
@tabisora110