鎌数伊勢大神宮

2018年2月6日神社

鎌数伊勢大神宮(かまかずいせだいじんぐう)は、千葉県旭市に鎮座する神社で、江戸時代の寛文12年(1672)の創建です。椿海干拓の成功を伊勢神宮に祈願したところ無事に成就したため、報賽のために社殿を造営し、干潟八万石の総鎮守としたという謂れがあります。毎年3月27日および28日の例祭では「鎌数の神楽」として十二座神楽が演じられ、千葉県の無形民俗文化財に指定されています。

旅行先の地図


(この地図の緯度:35.725, 経度:140.621111

旅行先の概要

御祭神 天照大神
所在地 千葉県旭市鎌数4314
交通 銚子連絡道路「横芝光IC」から車で約25分
JR総武本線「干潟駅」から徒歩約20分
拝観料 無料
駐車場 境内正面および西側に舗装された無料駐車場(普通車200台)あり
URL
連絡先 鎌数伊勢大神宮 0479-62-1982

歴史・由来

鎌数伊勢大神宮は、千葉県旭市に鎮座する神社で、江戸時代の寛文12年(1672)に創建されたものです。

この地には7,200ヘクタールにも及ぶ椿海(つばきのうみ)とよばれる広大な潟湖(せきこ)があり、寛文7年(1667)に江戸の町人・白井治郎右衛門が幕府普請方の大工頭・辻内刑部左衛門を誘って干拓事業を始めます。

このとき測量のため船に乗って太田村地先の湖上に出た両人が、干拓成功の暁には伊勢神宮を勧請し惣社として崇め奉ると祈願して杭を打ったところ、そこから不思議なことに湖水が干上がったといい、これが現在の社地にあたるという伝説があります。

もっとも当初に干拓を志した白井治郎右衛門や辻内刑部左衛門は、岩場に阻まれる困難な工事に加え、下流の農民や漁民の反対に遭い、それぞれ破産や病没の憂き目を見て事業はいったん頓挫しますが、黄檗宗の僧侶・鉄牛道機の働きかけで幕府が6千両の資金を融通し、刑部左衛門の婿にあたる辻内善右衛門、野田市郎右衛門、栗本源左衛門のいわゆる「三元締」に事業が引き継がれ、寛文11年(1671)にようやく椿海干拓が概成します。

こうした経緯を踏まえて報賽のために社殿が営まれ、伊勢神宮内宮の御師だった梅谷左近太夫長重により天照大神の分霊が勧請されて、後に「干潟八万石」とよばれる新田村落18か村の総鎮守として崇敬されることになったほか、同じく干拓地内の椿村(現在の匝瑳市)には水神宮が、後草村(現在の旭市)には八幡宮が勧請されたといいます。

毎年3月27日および28日の鎌数伊勢大神宮の春の例祭では、五穀豊穣を祈願する「鎌数の神楽」として、猿田彦ほかの演目からなる十二座神楽が舞われ、これは江戸時代から続く伝統芸能として千葉県の無形民俗文化財に指定されています。

また、代々鎌数村の名主の家柄で明治時代に戸長となった金谷総蔵は、千葉県令の柴原和の呼び掛けに応じ、有力な農産物に乏しかった椿新田の村々で落花生栽培を奨励し、ついに地域の名産品へと成長させたことから、その功績を称える山岡鉄舟題額の「落花生の碑」も鎌数伊勢大神宮境内に建てられています。

車椅子で旅行するポイント

【1】国道126号沿いに鎌数伊勢大神宮の看板と舗装駐車場があり、鳥居の先がすぐに境内地となっている。
【2】正面鳥居から進むとコンクリート舗装された参道が直線的に続いている。
【3】社務所の正面上り口は階段だが両袖はスロープ状の舗装路で迂回ができる。
【4】参道途中に出世稲荷があるが、入口がスロープ状になっていて奥に小祠が鎮座している。
【5】鎌数伊勢大神宮の拝殿前。正面参道はここまで延びており、周囲の地面も平坦である。
【6】境内西側の掩体壕側にも舗装駐車場があり、ここも鳥居の先がすぐ境内で神楽殿脇に出られる。






境内配置図 [凡例]
本殿 神楽殿 直会殿 出世稲荷 落花生の碑 夫婦杉:樹齢3百年以上という。 手水舎 塩の化石:旧軍の飛行場建設時に出土した椿海時代の遺物。 社務所 鳥居 トイレ 掩体壕 旧帝国海軍香取航空基地跡 西松屋 シャトレーゼ 干潟駅 旭駅 あさひ鎌数工業団地 新川:椿海干拓の際に開削された川で人名にちなみ形部川とも。 国道126号


移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

鎌数伊勢大神宮は国道126号沿いの正面と掩体壕近くの西側にそれぞれ舗装された無料の参拝者駐車場があり、どちらも鳥居を潜ればすぐ境内に入れる。正面からはコンクリート舗装された参道が社殿まで延びており、参道の周囲も平坦な地面のため移動は特に困難ではない。境内のトイレは身障者用ではないが、国道向かいの西松屋をはじめ、同じ国道沿いにWonderGOO、カワチ薬品、サンドラッグ、ドン・キホーテなどの身障者用の駐車スペースとトイレを持つ大型店舗がいくつもある。

周辺の名所・観光スポット

掩体壕

旧椿海村(現匝瑳市)と共和村(現旭市)にまたがる地域には帝国海軍の「香取航空基地」が建設され、昭和17年(1942)ごろまでに完成を見たといい、その跡地は現在の「あさひ鎌数工業団地」となり、十字状の滑走路は日清紡ブレーキ株式会社の「旭テストコース」の一部となっています。この航空基地があった時代の名残である「掩体壕」は、コンクリート製でかまぼこ型の有蓋のもので、敵機の空襲などから大型機を守る役目を果たしました。
【個人所有地にあり鎌数伊勢大神宮の西側駐車場(舗装済み)から遠望可能】

■参考リンク:旭市文化財マップ「あさひ時遊(じゆう)ガイド」

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このページの執筆者
@tabisora110