鹿島神宮

2013年12月19日神社

鹿島神宮は、茨城県鹿嶋市に鎮座し、息栖神社、香取神宮とともに「東国三社」の一つとされる古社で、御祭神は武神として知られる武甕槌神です。古来、藤原氏や武家の崇敬が篤く、広大な樹叢の中には国の重要文化財に指定される本殿、奥宮などの建物や、地震を抑えるという「要石」などがあります。

旅行先について

地図

旅行先の概要

御祭神 武甕槌大神
所在地 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
交通 東関東自動車道「潮来IC」から国道51号経由、車で約20分。
大洗鹿島線・JR鹿島線「鹿島神宮駅」から徒歩約10分。
拝観料 無料
ただし、「鹿島神宮宝物館」【平成30年から休館中】は大人300円
駐車場 大鳥居横に舗装済で有料の「第1駐車場」(普通車300円・200台収容・身障者用駐車区画2台)あり。
さらに、県道18号「鹿島高校北」交差点から入って大鳥居300メートル手前に「第2駐車場」(無料・舗装済)、「鹿島神宮駅」前の道路終点に「御手洗池駐車場」(無料・砕石敷)あり。
URL
連絡先 鹿島神宮 0299-82-1209

歴史・由来

鹿島神宮は、茨城県鹿嶋市に鎮座する旧官幣大社で、常陸国一の宮、『延喜式』式内社であり、息栖神社香取神宮とともに「東国三社」の一つに数えられ、神武天皇元年(前660)の創建と伝わる古社です。

『万葉集』の防人歌に「霰降り 鹿島の神を祈りつつ 皇御軍に われは来にしを」とあるように、古くから武運長久の神として知られ、防人が都に旅立つ際に道中の無事をこの神に祈願したことから転じて、旅立ちを意味する「鹿島立ち」という言葉も生まれました。かつてこの地方は蝦夷征伐の最前線であり、東北南部にも鹿島神宮の分霊を祀った鹿島社(苗裔神)が多く分布しています。

平城京遷都の際には藤原氏の氏神として鹿島・香取の神が春日山に勧請され、続く平安時代にも皇室代々にわたり奉幣を賜るなど、厚い崇敬を受けてきました。なお、鹿島の神は神使である鹿とともに都にやってきたといい、神像彫刻や曼荼羅の意匠として、しばしば鹿の背に乗る姿で登場します。

御祭神は東国平定に携わり武神として崇拝される武甕槌命であることから、武家の信仰も集めており、鎌倉幕府の事跡を記した『吾妻鏡』には源頼朝が鹿島神宮にたびたび寄進し保護したことが伝えられています。

戦国時代には、鹿島神宮の神職の家系から剣術家・塚原ト伝を輩出し、「鹿島新當流」の祖となりました。NHKの時代劇『塚原卜伝』の主人公でもあり、将軍・足利義輝に「一の太刀」を伝授したといわれています。

鹿島神宮の例祭は9月1日の「神幸祭」で、夜には提灯祭が行われます。また、3月9日には防人の旅立ちの様子に由来するとされる「祭頭祭」があり、多くの参拝者で賑わいます。

特に、12年に一度行われる「御船祭」は、古代の東国開拓に端を発するともいい、神輿を乗せた御座船が大船団とともに利根川を越えて鹿嶋市から佐原市へと向かい、対岸の香取神宮の御迎祭を受け、再び水路で戻るという壮麗なものです。

境内にある朱塗りの大きな「楼門」は、寛永11年(1634)、水戸藩初代藩主で世に「水戸黄門」として知られる徳川光圀の父にあたる徳川頼房が奉納したものです。「本殿」は江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠が元和5年(1620)に奉納したもので、慶長10年(1605)に建立された元の本殿は、その際に「奥宮」の社殿として移設されました。これらの建物はすべて国の重要文化財に指定されています。

また、地上に直径30センチほど頭の部分だけが露出した「要石」(かなめいし)と呼ばれる大岩は、地震を起こす地底の大鯰の頭を押さえていると言い伝えられています。『水戸黄門仁徳録』によれば、徳川光圀が人夫数百人を使役して要石の周囲を掘らせたものの、下へ行くほどに広がって少しも底が見えず、作業の翌日には掘ったはずの穴が跡形もなく埋まる怪異が続いたため、ついに「要石ハ最早堀に及ず」と諦めたという逸話があります。このような「要石」は、鹿島神宮と関連の深い、利根川の対岸にある香取神宮にも存在しています。

そのほか、宝物館に所蔵されている「韴霊剣」(ふつのみたまのつるぎ)は、平安時代の作とみられる、全長2.71メートルもある我が国最大の直刀で、国宝に指定されています。【宝物館は解体工事のため平成30年から休館中。現在は茨城県水戸市にある茨城県立歴史館に寄託中。】

車椅子で旅行するポイント

【1】鹿島神宮正面の大鳥居。右手に有料で舗装済の第1駐車場(身障者用区画あり)。
【1-1】鹿島神宮第1駐車場内の身障者用駐車場(2台分)。売店に貸出用車椅子(「御休憩所福餅」前)
【2】大鳥居脇の第1駐車場奥、舗装通路の先にトイレ棟。多目的トイレあり。
【2-1】多目的トイレ内部(手すり、幼児用ベッドあり)
【3】参道は平坦な石畳。楼門に段差あるも滑り止め凹凸のある簡易な木製スロープを架け渡している。
【4】楼門の先は石畳と玉砂利で鹿島神宮拝殿が鎮座。正面階段だが右脇木製スロープから賽銭箱の位置まで移動可。
【4-1】拝殿右脇の木製スロープ
【5】鹿島神宮奥宮方面への奥参道。ここにも木製スロープ。越えると樹叢のなかに砂地の平坦な散策路が続く。
【6】鹿島神宮奥宮。左側に要石方面、後方に御手洗池方面への参道があるがともに階段。車椅子はUターン。
【7】奥宮からUターンして防災道路を通れば要石まで行けるが、未舗装かつ距離も長いので注意のこと。
【8】御手洗池に行くには社殿のある台地を一旦下り御手洗池駐車場から進入。階段のため奥宮方面へは移動できない。






境内配置図 [凡例]
本殿 鏡石 拝殿 三笠社 宝庫 神庫 二郎杉 高房社 仮殿 楼門 トイレ 宝物館 祈祷殿・社務所 武徳殿 御厨社 祖霊舎 鹿園 奥宮 来賓館 手水舎 遥拝所 須賀社 津東西社 祝詞社 熊野社 車祓所 稲荷社 売店 鹿島神宮第1駐車場 大鳥居 時間貸駐車場 茨城県道192号鹿島神宮線 防災道路 要石 御手洗池 鹿島神宮駅 第2駐車場 臨時駐車場 茨城県道18号茨城鹿島線 国道124号

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

鹿島神宮は駐車場から石畳の参道が続き、楼門などの段差箇所には簡易なスロープがあるので、拝殿までの参拝であれば、介助があれば他の神社仏閣よりは格段にしやすい。有料の第1駐車場に隣接して身障者用トイレも整備されている。
ただし、樹叢におおわれた敷地は70ヘクタールと広大で、奥宮、御手洗池、要石などのすべての箇所を巡拝するには困難が伴う。ちなみに、拝殿から奥宮までの距離は350メートル、要石までは500メートルほどで、拝殿以遠の奥参道や防災道路は舗装されていない。
特に、御手洗池は拝殿や奥宮がある台地上と比較すると20メートル以上の標高差があるため、いったん鹿島神宮駅前の道路から自動車で御手洗池駐車場(無料)に乗り付けた上で参拝するのがよい。この御手洗池周辺は公園化されているので石畳の舗装がある。

周辺の名所・観光スポット

茨城県立カシマサッカースタジアム

「茨城県立カシマサッカースタジアム」は、1993年に日本で初めて誕生した公設の本格的なサッカー専用スタジアムで、2002FIFAワールドカップの開催時にさらに改修が加えられ、4万人以上を収容する能力があります。プロサッカーのJリーグ鹿島アントラーズのホームスタジアムでもあり、毎月のように白熱した試合が行われています。
また、スタジアム内にはアントラーズの軌跡を紹介する「カシマサッカーミュージアム」、各種トレーニングマシンを揃えた「カシマウェルネスプラザ」なども併設されています。
【身障者用駐車場(要事前予約)・トイレ・エレベーター・身体障害者席あり】

■参考リンク:カシマサッカースタジアム

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このページの執筆者
@tabisora110