川勾神社

2021年11月22日神社

川勾神社は、神奈川県中郡二宮町にある式内社です。相模国の二宮であり、地名の「二宮」の由来にもなっています。相模国が成立する以前、相武国と磯長国に分かれていた時代に磯長国の中心だった神社とされており、相模国内の主要神社が集合する「国府祭」(こうのまち)の中で、相武国の中心だった寒川神社と席次を争う「座問答」の神事で知られています。

旅行先について

地図


(この地図の緯度:35.300167, 経度:139.238083

旅行先の概要

御祭神 大名貴命、大物忌命、級長津彦命、級長津姫命、衣通姫命
所在地 神奈川県中郡二宮町山西2122
交通 小田原厚木道路「二宮IC」又は西湘バイパス「橘IC」から車で約5分
JR東海道本線「二宮駅」北口から二宮町コミュニティバス(右循環)経由で約4分、「川勾神社入口」停留所下車、徒歩約6分
拝観料 無料
駐車場 境内下に舗装された無料駐車場あり
URL
連絡先 川勾神社 0463-71-0709

歴史・由来

川勾神社は、神奈川県中郡二宮町にある式内社です。垂仁天皇の時代、まだ相模国が相武国と磯長国に分かれていたころ、磯長国国宰であった阿屋葉造が勅命により創建したと伝えられています。

この神社は相模国の二宮であり、地名の「二宮」の由来にもなっています。当時の磯長国の中心だった神社とされており、毎年5月5日、相模国内の主要神社の神輿が大磯町の神集山に集合して催される「国府祭」(こうのまち)の中で、相武国の中心だった寒川神社と席次を争う「座問答」の神事があることでも知られています。

建久3年(1192)には源頼朝が夫人の北条政子の安産祈願のため神馬を奉納し、徳川家康も朱印地50石を寄せています。

神社入口には、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に亡き父の仇討ちをした曽我十郎・五郎兄弟が力比べをしたときに用いたという、「十郎・五郎の力石」という大石があります。また、神社の随身門は現在では珍しい茅葺きの姿で、内部には平安時代後期の一木造の随身像が納められています。

車椅子で旅行するポイント

【1】川勾神社の境内下には舗装済みの無料駐車場があり、車椅子用トイレを併設している。
【2】車椅子用トイレ内部
【3】川勾神社の参道は石段が続くが、右手に迂回路となる車道の坂道が見える。
【4】坂道の途中を左折すれば随身門の脇から境内に入ることができる。
【5】川勾神社の境内は参道に石畳が敷かれ、周囲は薄く玉砂利が敷かれ平坦となっている。
【6】川勾神社の拝殿付近。拝殿前に石段があるが左に簡易なスロープを渡してある。



境内配置図 [凡例]
十郎・五郎の力石 伊藤博文揮毫「川勾神社」扁額 随身門 本殿 拝殿 西五社 東五社 神輿殿 手水舎 社務所 神楽殿

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

川勾神社は高台にあるものの、参道の石段を通らずに随身門の脇から境内に入れる車道がある。境内は玉砂利が薄く敷かれている程度で平坦であり、拝殿前の石段も簡易なスロープがあるので回避できる。駐車場には入口にスロープの付いた身障者トイレがある。

周辺の名所・観光スポット

小田原城

「小田原城」は、神奈川県小田原市にある戦国時代から江戸時代にかけての平山城で、後北条氏がその本拠地とし、上杉謙信や武田信玄が攻撃しても落とせなかった難攻不落の城としても有名です。豊臣秀吉の小田原征伐で開城し、江戸時代には小田原藩の藩庁が置かれ、現在は国史跡に指定されています。
【身障者用トイレ・駐車場あり。ただし、二の丸から天守に向かうルートは舗装されてはいるものの傾斜が急なほか、天守入口は階段のため車椅子で内部を見学することは不可】

■参考リンク:小田原城

広告

このページの執筆者
@tabisora110