北口本宮冨士浅間神社
北口本宮冨士浅間神社は、日本武尊が創建したと伝わる、富士山の北麓に鎮座する神社です。南麓にある富士山本宮浅間大社などとともに、古くからの富士山信仰を物語る代表格であり、世界遺産としても登録されています。江戸時代には富士講の村上光清が私財を投じて社殿を整備し、多くの参拝者を集めました。例大祭である「吉田の火祭」では、街中に無数の松明が灯されます。
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 木花開耶姫命、天孫彦火瓊瓊杵命、大山祇神 |
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所在地 | 山梨県富士吉田市上吉田5558番地 |
交通 | 富士急行「富士山駅」から徒歩で約25分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 境内および国道沿い、浅間茶屋隣りなどに無料駐車場あり |
URL | 北口本宮冨士浅間神社 |
連絡先 |
北口本宮冨士浅間神社 0555-22-0221 |
歴史・由来
北口本宮冨士浅間神社は、日本武尊が創建したと伝わる、富士山の北麓に鎮座する神社で、南麓にある富士山本宮浅間大社などとともに、古くからの富士山信仰を物語る代表格として、ユネスコの世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産にもなっています。
景行天皇40年(110)、日本武尊が東征の際に「大塚丘」(おつかやま)に立ち寄り、富士山を親拝したことから、ここに富士山の神である浅間大神と日本武尊を祀ったのがはじまりと伝えられています。
その後、富士山の噴火があったことから、富士山の神をなだめるため、延暦7年(788)、卜占によって「大塚丘」の北にあたる現在地に甲斐守であった紀豊庭が社殿を造営して浅間大神を遷座し、「大塚丘」には日本武尊を祀ったといいます。
戦国時代の永禄4年(1561)には、甲斐国主の武田信玄が川中島合戦の戦勝祈願のために社殿を造営していますが、摂社の「東宮本殿」はこのときのもので、境内最古の建築物として、国の重要文化財に指定されています。
また、現在の「本殿」は、江戸時代の元和元年(1615)に、谷村城主の鳥居成次が造営したもので、こちらも唐破風造りの向拝がついた桃山様式の建築物として、国の重要文化財に指定されています。
富士山信仰は時代が下ると「富士講」として庶民層にも広まりますが、富士山の人穴で修行した角行(長谷川角行、藤原角行、藤原武邦とも)は各地で布教して「富士講」の開祖とされ、その系譜を受け継ぐ村上光清は、荒廃した社殿を私財を投じて復興させ、「富士講」をますます盛んにします。
現在でも「富士講」に集った人々を富士登山に案内した「御師」とよばれる宗教指導者らの邸宅が富士吉田の街に残されています。
北口本宮冨士浅間神社と、その境内摂社である諏訪神社の例大祭として、8月26日から27日にわたって行われる鎮火祭は「吉田の火祭」として有名で、無数の松明を灯して「拝み」などの儀礼を行うもので、長野県の「御柱祭」、秋田県の「なまはげ」とともに「日本三大奇祭」とされています。
車椅子で旅行するポイント
移動のしやすさ
★★☆☆☆
バリアフリーの状況
目立った車椅子用の施設・設備はまったくない。ただし、境内裏手の「還幸門」から入れば階段を通らずに諏訪神社前から本殿近くまで行ける。「車両祓処」からも1段ほど段差があるが、介助があれば同様に諏訪神社前に出られる。階段のない場所は一部が石畳、その他は玉砂利か砂地のようになっているが、割と地盤が固く平坦で車椅子でも移動は可。
周辺の名所・観光スポット
富士急ハイランド
富士山の北側に展開する巨大遊園地。「FUJIYAMA」「ドドンパ」「ええじゃないか」といったジェットコースター・絶叫マシンや、「トーマスランド」、「ハムハムどきどき!おうこく」などの子供向けアトラクションがある。
【スロープ、エレベーター、身障者用トイレ、車椅子貸出、障害者割引あり
■参考リンク:富士急ハイランド