上野総社神社

2013年5月23日神社

総社神社は、国司の便宜のため国庁近くに上野国内549柱を合祀し総社としたもので、平安後期の創建とされています。御神体は神々の名を記した「神名帳」そのもので、本殿は江戸初期の絢爛なものです。神社裏手には出土した石造物が並び、表からのアプローチとは異なる雰囲気があります。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 【主祭神】盤筒男命、盤筒女命、経津主、宇迦御魂命、須佐之男命
【相殿神】赤城大明神、抜鉾大明神、若伊香保大明神、伊香保大明神、岩根大明神、小祝大明神、榛名大明神、浅間大明神、火雷大明神、倭文大明神
【配祀神】上野国内五百四十九社
所在地群馬県前橋市元総社町1-31-45
交通JR「新前橋駅」西口から徒歩約15分
関越自動車道「前橋IC」から車で約5分
拝観料無料
駐車場神社裏手に舗装された駐車場(収容台数50台)あり
URL
連絡先上野総社神社 027-252-0975

歴史・由来

古代律令制下において、国司は任国内の諸社を巡回して神拝するものとされていましたが、時代が下ると、国衙の近くに諸社の神々を勧請した「総社」を建ててこれに代えるようになります。

総社神社(上野総社神社:こうずけそうじゃじんじゃ)は、上野国内549柱を合祀してこのような「総社」としたもので、社伝では東国平定のためこの地に遣わされた豊城入彦命が崇神天皇48年(611)に経津主命を祀ったのが始まりとされていますが、実際には平安後期ごろの創建とみられています。

室町時代の長享2年(1488)には禅僧の万里集九が境内に老樹の残る「上野之惣社」を訪れたことが『梅花無尽蔵』に記されており、戦国時代の永禄9年(1566)には武田・北条の軍勢による兵火で社殿や社宝が焼失するものの、後に現在地に再建されたといいます。

総社神社の御神体は、戦火を逃れた「上野国神名帳」そのもので、上記の神々の名が記されており、群馬県指定文化財とされています。また、本殿は江戸初期の慶長年間に造営された、桃山時代の様式を伝える絢爛豪華なもので、同じく群馬県指定文化財のひとつです。

神社裏手の一角には石祠や双体道祖神などが並んでいるほか、この場所からは石造物のほかに中世の懸仏などの文化財が多数発掘されており、神仏習合の時代の名残を感じさせます。

車椅子で旅行するポイント

【1】表参道の正面鳥居には階段あり。左手の市道に迂回。
【2】鳥居左手の市道からスロープ状の舗装が参道石畳に延びる。石畳との継ぎ目に多少段差あり。
【3】境内は掃き清められ固く平坦な地面かアスファルト舗装。表参道部分は石畳。
【4】拝殿直下まで表参道の石畳が続く。賽銭箱も参道近くに置かれているがやや高さがある。
【5】拝殿裏手にアスファルト舗装された駐車場。鳥居が裏参道への入口。
【6】裏参道は舗装されていないものの地面は固く平坦。
【7】石祠や道祖神などが並ぶ脇を通って拝殿正面へ出る。





境内配置図 [凡例]
本殿 拝殿 宝塔 社務所・参集殿 神楽殿 御神木 手水舎 トイレ 斎館 群馬県道127号足門前橋線

移動のしやすさ

★★★★☆

バリアフリーの状況

上野総社神社は平坦地に位置しており、裏手の舗装された駐車場側から入れば階段などもなく境内を移動することができる。参道は石畳か固い地面で特に車輪が嵌まるおそれもない。身障者用トイレは200メートルほど南東の総社保育所向かいの公園にあるが、大通りから外れてしまうのでわかりにくい。

周辺の名所・観光スポット

萩原朔太郎記念 水と緑と詩のまち前橋文学館

「日本近代詩の父」と称される前橋出身の詩人・萩原朔太郎の自筆原稿や著書、愛蔵品などを中心に、近代文学に関連した資料を常設展示する。館内にはホールやオープンギャラリーなどがあり、市民の芸術活動の拠点ともなっている。【身障者用トイレ・車椅子貸出あり。駐車場なし】

■参考リンク:萩原朔太郎記念 水と緑と詩のまち前橋文学館

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このページの執筆者
@tabisora110