水戸東照宮
2019年9月1日神社
水戸東照宮は、茨城県水戸市にある神社です。水戸藩初代藩主の徳川頼房が江戸幕府の開祖である徳川家康を祀ったのがはじまりで、水戸空襲により焼失後に再建されました。境内には徳川斉昭が考案した「安神車」と呼ばれる戦車が残されており、水戸市の指定文化財になっています。
広告
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 徳川家康公、徳川頼房公 |
---|---|
所在地 | 茨城県水戸市宮町2-5-13 |
交通 |
水戸駅北口から徒歩約10分 北関東自動車道「水戸南IC」から車で約20分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 境内に舗装済みおよび砕石敷の無料駐車場あり |
URL | 水戸東照宮 |
連絡先 | 水戸東照宮 029-221-3784 |
歴史・由来
水戸東照宮は、茨城県水戸市にある神社です。
元和7年(1621)、水戸藩の初代藩主・徳川頼房が、江戸幕府の開祖にして実父でもある徳川家康の霊をこの地に祀ったのがはじまりです。
もとはこの場所に戦国大名佐竹氏菩提寺の円通寺がありましたが、関ヶ原の戦い後、佐竹氏が出羽秋田に国替えとなり寺院も移ったため、その旧跡に建てられたものです。
宮領は500石で、当初は「霊松山」といわれていましたが、2代藩主の徳川光圀が「常磐山」と改めています。
また、東照大権現(徳川家康)・山王権現・摩多羅神の3神を「東照三所権現」として中央・左・右にそれぞれ祀り、大照寺を別当寺に任じていたものの、9代藩主・徳川斉昭の時代に神仏習合を廃し、静神社の斎藤監物を斎官に据えています。
徳川斉昭は異国船来航で騒然とする世相のなかで、日本最古といわれる戦車「安神車」を開発しており、この東照宮には2基が残され、水戸市指定文化財として境内に展示されています。
「安神車」は大八車の四方を鉄板で囲ったような形状で、車は牛に牽かせ、中に人が入って銃眼から小銃を撃つしくみでしたが、実戦に投入されることはありませんでした。
昭和11年(1936)には徳川頼房が配祀され、当時は旧国宝の扱いを受けた豪奢な権現造りの社殿がありましたが、昭和20年(1945)の水戸空襲でことごとく焼失し、現在のものは昭和37年(1962)に再建されたものです。
そのほか、社宝として国重要文化財の「太刀 則包作」(茨城県立歴史館寄託)や、徳川頼房が奉納した「銅造灯篭」、徳川光圀がつくらせ明から亡命した儒学者・朱舜水の銘がある「常葉山時鐘」なども残されています。
車椅子で旅行するポイント
社殿 社務所 手水舎 移動式茶室 天満宮 稲荷神社 報時鐘楼 安神車格納庫 神輿庫 山車庫 トイレ 鳥居 境内駐車場 民間有料駐車場 国道50号 茨城県道50号水戸神栖線 水戸駅 千波湖 笠間市 |
移動のしやすさ
★★★★☆
バリアフリーの状況
水戸東照宮は駅前の繁華街にあり、かえって周囲の景観にまぎれて場所がわかりにくいので、鳥居を目標に進むとよい。国道50号からの入口には自動車通行止の予告標識があり不安になるが、少なくとも本標識に行き当たるまでは自動車で進入できるので、そのまま車内から降りずに境内駐車場を目指す。境内はおおむね舗装されていて平坦になっている。
周辺の名所・観光スポット
弘道館
「弘道館」は、水戸藩9代藩主・徳川斉昭が天保12年(1841)に創設した水戸藩の藩校です。「忠孝二无く、文武岐れず」という建学の精神を記した「弘道館記碑」にあるとおり、文館と武館が設けられ、藩士の師弟らに対してさまざまな学問の教育が行われました。当時としては日本最大級の藩校であり、会沢正志斎が初代の教授頭取となり、水戸学の中心として発展しました。
弘道館は明治初年の天狗党・諸生党による「弘道館戦争」の結果、正門と正庁、そして最後の将軍徳川慶喜が一時期謹慎した至善堂の建物を残して焼失していますが、これらの建物は現在では国の重要文化財に指定されているほか、旧弘道館として全体が国の特別史跡に指定されています。
かつての水戸城二の丸に位置し、歴史書『大日本史』の編纂を行っていた水戸彰考館の跡地には「二の丸展示館」もオープンしており、水戸城跡から出土した瓦や陶磁器、水戸城の復元模型、『大日本史』の刊本などが展示されています。
【二の丸展示館や弘道館公園内は車椅子可。弘道館の建物(有料エリア)見学も可能だが、入口の段差に係員の補助、館内用車椅子への移乗などが必要となる。有料エリアは障害者手帳所持者と介助者1名は免除。】
■参考リンク:弘道館
@tabisora110