椋神社
椋神社(むくじんじゃ)は、埼玉県秩父市にある式内社で、地元民が手作りのロケット花火を打ち上げる「龍勢祭り」かあることで有名で、もとは日本武尊東征の際に猿田彦大神を祀ったのがはじまりとされています。また、明治時代の自由民権運動のもとで秩父困民党が決起した場所でもあります。
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 猿田彦大神、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神 |
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所在地 | 埼玉県秩父市下吉田7377 |
交通 |
西武秩父駅から西武バス(「吉田元気村」ゆき)で約40分、「龍勢会館」停留所下車、徒歩約10分 皆野寄居有料道路「皆野IC」から車で約15分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 県道沿いの境内入口に砕石敷の無料駐車場あり |
URL | 延喜式内椋神社 |
連絡先 |
椋神社 0494-77-1293 |
歴史・由来
椋神社(むくじんじゃ)は、埼玉県秩父市にある延喜式内社で、実はこの秩父市下吉田にある椋神社とともに、秩父郡皆野町皆野、秩父郡皆野町野巻、秩父市蒔田、秩父市蒔田のあわせて5か所に同名の「椋神社」があり、それぞれが式内社を名乗っています。
下吉田椋神社は、景行天皇の時代に日本武尊が東征の途中、手にしていた矛が光り輝いて飛び去るとともに、矛が止まった井戸のまわりの椋の樹の下に老翁の姿をした猿田彦大神が出現し、道案内をしたことから、ここに猿田彦大神を祀ったのがはじまりとされています。
社殿が営まれたのは和銅3年(710)のことで、芦田宿祢守孫によるものといい、のちに天慶5年(942)、藤原秀郷が春日明神(武甕槌神、経津主神、天児屋命、比売神)を合祀して平将門の乱を鎮定したことから、「井椋(いくら)五所大明神」と呼ばれるようになり、これが転じて現在の「椋神社」になったといいます。
戦国時代の永禄12年(1569)には、武田信玄の後北条氏領への侵攻によるいわゆる「信玄焼」によって椋神社の社殿が焼失し、天正3年(1575)に鉢形城主であった北条氏邦によって再建され、さらに江戸時代の寛永4年(1627)に修理が行われたといい、現本殿は秩父市の指定有形文化財(建造物)となっています。
また、本殿向かって右手の「八幡社」は、秩父氏の一族で鎌倉御家人でもある畠山重忠が治承4年(1180)に「鶴窪八幡宮(つるがくぼはちまんぐう)」を祀ったのがはじまりとされており、大正時代に椋神社に合祀された八幡社本殿は、江戸時代の延宝年間(1673~1680)造営のもので、同じく秩父市指定有形文化財(建造物)です。
なお、「鶴ヶ窪」は地名のひとつであって、椋神社近くの吉田川に沿った高台にある秩父氏の本拠地「秩父氏館」は、別名「鶴ヶ窪城」とも呼ばれています。
椋神社では、毎年10月の第2日曜日、戦国時代の伝達手段である狼煙が起源ともいわれるロケット花火「龍勢」を地元の農民たちが手作りして打ち上げる「龍勢祭り」が例大祭として行われており、神社前の空き地が観覧席となって多くの観光客が訪れるほか、テレビアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』にも登場しています。
また、この椋神社は、おりからの自由民権運動のなかで、明治17年(1884)、田代栄助を総理とする「秩父困民党」が決起集会を開き、「秩父事件」の端緒となった場所としても知られており、「秩父事件」をテーマとした神山征二郎監督の映画『草の乱』のロケ地にもなっています。
車椅子で旅行するポイント
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
砕石敷の駐車場の隅に身障者用トイレはあるが、狭いつくりで車椅子のままでは使用に耐えないとみられるので、「道の駅龍勢会館」などを利用するとよい。境内には階段があるものの、駐車場から玉垣の切れ目を経由して社殿に至ることは可能。ただし、足元は全面的に玉砂利となっていて、舗装はされていないので注意が必要となる。
周辺の名所・観光スポット
道の駅龍勢会館
全国的にもめずらしい手作りロケット花火「龍勢」の製造過程や打ち上げの様子などを大型スクリーンや櫓の実物大展示などを通じて体感できる道の駅。農産物直売所や食堂「龍勢茶屋」も併設され、蕎麦、味噌、こんにゃく、まんじゅうなどの地場産品も楽しめる。自由民権運動の激化事件として知られる「秩父事件」の資料館もあり、映画『草の乱』で用いた秩父困民党の会計長・井上伝蔵邸のロケセットをそのまま移築して活用している。
【身障者駐車場、身障者トイレ、スロープあり。なお、実際の「龍勢祭り」当日は交通規制も敷かれて周辺一帯は大混雑し、相当の準備をしないと車椅子での観覧は難しいため、「吉田龍勢保存会」のホームページなどを確認のこと。】
■参考リンク:道の駅 龍勢会館