世良田東照宮
世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)は、群馬県太田市に鎮座する「徳川発祥の地」とされる神社です。徳川家康を「東照大権現」として祀る東照宮のひとつですが、この地域には徳川氏の遠祖にあたる新田氏がかつて居館を構えていたことから、その所縁によって天海僧正が長楽寺境内に勧請したものであり、明治時代の神仏分離令によって独立した神社となりました。
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 徳川家康公 |
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所在地 | 群馬県太田市世良田町3119-1 |
交通 |
東武伊勢崎線「世良田駅」から徒歩約15分 東武伊勢崎線・桐生線・小泉線「太田駅」(北口)からシティライナーおおた(太田市公共バス)経由で約50分、「尾島歴史公園」停留所下車、徒歩約3分 北関東自動車道「伊勢崎IC」から車で約20分 |
拝観料 |
境内無料 ただし、本殿拝観の場合は拝観料として大人300円、小中学生100円【本殿拝観時間/4月~10月:9時~16時30分、11月~3月:9時30分~16時】 |
駐車場 | 神社前に砕石敷の無料駐車場あり、他に舗装済みの無料の歴史公園駐車場【身障者トイレ併設】あり |
URL | 世良田東照宮 |
連絡先 |
世良田東照宮 0276-52-2045 |
歴史・由来
世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)は、群馬県太田市に鎮座する「徳川発祥の地」とされる神社で、隣接する長楽寺などとともに「新田荘遺跡」として国史跡に指定されています。
この世良田東照宮は、徳川家康を「東照大権現」として祀る東照宮のひとつですが、日光東照宮が3代将軍・徳川家光の命によって造替されるにあたって、古い社殿を長楽寺境内に移築した上で勧請したもので、寛永21年(1644)の創建となります。
この地域には「八幡太郎」といわれた義家の孫にあたる新田義重が居館を構え、火山灰で荒れた土地を「新田荘」とよばれる荘園として開発しましたが、その新田義重の四男・義季は、世良田郷の地頭職を父から譲られて世良田氏を名乗ったとも、あわせて隣接する得川郷を領したことから得川氏を名乗ったともいわれ、これが得川氏(嘉字(縁起のよい文字)を用いた結果が「徳川」氏)のはじまりとされています。
世良田義季は、臨済宗の祖である栄西の高弟にあたる栄朝を開山として長楽寺を創建し、室町時代には「関東十刹」の寺格を認められるなど栄えていましたが、のちに荒廃したため、得川義季の末裔、すなわち源姓であることをを自称する徳川家康によって、天海が長楽寺住職に据えられて復興がなされ、その経緯もあって、この場所に東照宮が誕生することとなりました。
江戸幕府は長楽寺を別当寺とし、もともとの寺領100石のほか、神領として200石の朱印地を与え、修理も幕府の費用で賄うなどして管理を手厚くしていましたが、明治時代の神仏分離令によって長楽寺からは切り離されて独立した神社となっています。
世良田東照宮には、左甚五郎作とされる「巣篭りの鷹」の彫刻がある極彩色の本殿をはじめ、拝殿および唐門が残っており、国の重要文化財として指定されています。
また、隣接の長楽寺にも、勅使門、三仏堂、太鼓門などがあり、こちらは群馬県の重要文化財とされているほか、境内の前方後円墳の上には世良田義季の墓と伝わる石塔もあります。
車椅子で旅行するポイント
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
歴史公園を含めれば身障者駐車場、身障者トイレといったひととおりの施設はあり、階段を避けるルートもあるので、車椅子での参拝が可能なレベル。ただし、境内は平坦地であるのの、全面的に玉砂利が敷かれているので、場所によっては移動しにくいかもしれない。「世良田東照宮」そのものよりも、周辺の「三仏堂」あたりの玉砂利が特に厚めに敷かれていて、車輪をとられるおそれがあるので注意。
周辺の名所・観光スポット
新田荘歴史資料館
大田市内の文化財を保存・公開するための資料館で、もともと東毛広域市町村圏振興整備組合が運営していた東毛歴史資料館を太田市に移管したもの。入口には鎌倉攻めの際に稲村ヶ崎で黄金作りの太刀を海神に献上したという『太平記』の逸話にもとづく新田義貞の銅像が建ち、館内には新田義貞をはじめ、新田氏の末裔を称する徳川家康、長楽寺ゆかりの天海僧正、群馬県出身の小説家である田山花袋、当地出身で東洋最大といわれた戦前の中島飛行機の創設者中島知久平に関連した資料が多数展示されている。また、周囲には世良田東照宮、長楽寺などがあることから、一帯を歴史公園として整備している。
【歴史公園内に身障者駐車場、身障者用トイレ、スロープあり】
■参考リンク:太田市立新田荘歴史資料館