相馬小高神社
相馬小高神社は、福島県南相馬市にある神社で、相馬太田神社・相馬中村神社とともに「相馬妙見三社」のひとつにあたります。南北朝時代に陸奥相馬家当主の相馬重胤が小高城を築城しますが、遠祖・平将門が崇敬していた妙見菩薩を城の鎮守として祀ったのが起源とされています。三社合同の祭礼「相馬野馬追」は甲冑姿の騎馬武者が勢揃いする勇壮なもので、国の重要無形民俗文化財に指定されており、この神社では最終日に白装束の若者らが素手で馬を捕らえて奉納する「野馬懸」が行われています。
旅行先の地図
旅行先の概要
御祭神 | 天之御中主神 |
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所在地 | 福島県南相馬市小高区小高字古城36 |
交通 |
常磐自動車道「浪江IC」から車で約20分 JR常磐線「小高駅」から徒歩約15分 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 城下および古城内に砕石が敷かれた無料の駐車場あり |
URL | 小高観光協会>相馬小高神社 |
連絡先 | 相馬小高神社社務所 0244-44-2323 |
歴史・由来
相馬小高神社は、福島県南相馬市にある神社で、相馬中村神社、相馬太田神社とともに、いわゆる「相馬妙見三社」のひとつにあたります。
相馬氏はもとは下総国(今の千葉県)にあった相馬御厨の出身ですが、鎌倉時代に家督争いに破れた一族が所領のあった陸奥国行方郡に下向して陸奥相馬氏となり、そのまま残った一族が下総相馬氏として分立した経緯があります。
南北朝時代、北朝方だった相馬重胤は南朝方の北畠顕家の攻勢に備えて平山城の小高城を築城していますが、城の鎮守として遠祖・平将門が崇敬していた妙見菩薩を祀ったのがこの相馬小高神社の起源とされています。
小高城は280年以上にわたって陸奥相馬氏の居城となっていましたが、安土桃山時代に相馬義胤が牛越城に居城を移して対立する北方の伊達政宗への抑えとし、次いで関ヶ原の戦い後に佐竹義宣に連座して改易、さらに改易が取り消されお家再興後に再び小高城が居城となり、長男・利胤の代に相馬中村城へと居城が移るという変遷をたどります。
しかしながら、相馬氏の居城ではなくなった江戸時代にも小高城址には妙見宮が祀られており、明治時代の神仏分離令の際には別当寺だった金室山金性寺に妙見菩薩像を移し、垂迹神にあたる天之御中主神を祀る「小高神社」として明治5年(1872)に独立、次いで県社に列せられ、さらに戦後の昭和28年(1953)に「相馬小高神社」と改称しています。
別名「紅梅山浮舟城」とも呼ばれる小高城址の本丸に位置する相馬小高神社は、他の「相馬妙見三社」にあたる相馬太田神社、相馬中村神社と合同の祭礼として、毎年7月に国指定重要無形民俗文化財の「相馬野馬追」を催行しています。
「相馬野馬追」の最終日、甲冑姿の騎馬武者が境内に裸馬を追い込み、これを「御小人」と呼ばれる白装束の若者らが素手で捕まえる「野馬懸」がこの神社における最大の行事で、捕まえた馬は神馬として奉納されます。
車椅子で旅行するポイント
本殿 拝殿 社務所 御神水(おみたらし)舎 奥の院:東京の旧相馬邸(今の新宿区おとめ山公園)から戦後に太素神社を遷座。 天満宮:北野天満宮から勧請。 雷神社:大雷神を祀る。 絵馬殿(神輿庫) 山津見神社 弁天宮 棚機(たなはた)神社 トイレ 南相馬市小高保健福祉センター 南相馬市小高区役所 浮舟文化会館 福島県道260号北泉小高線 |
移動のしやすさ
★★★☆☆
バリアフリーの状況
相馬小高神社は小高城の本丸(主郭)に位置しているため、南側の表参道からは石段があり移動ができない。東側に回り込むと別の参道があり、自動車でも境内に入れるようになっていて、入口に看板も設置されている。この参道を登りきった境内は、相馬野馬追の際の会場にもなるので、駐車可能な広いスペースがある。しかし社殿までは鳥居に1段、拝殿前に3段の階段があるので、原則として車椅子での参拝は鳥居の前までである。身障者用トイレはないので必要があれば小高保健福祉センターか小高区役所のものを借用する。
周辺の名所・観光スポット
南相馬市博物館
南相馬市の市街地脇一望できる東ヶ丘公園の高台に開設された市営の博物館施設で、相馬野馬追祭場地となる雲雀ヶ原がすぐ西側にある。勇壮な神旗争奪戦などの相馬野馬追の様子をジオラマで再現しているほか、国史跡の桜井古墳をはじめとする南相馬市の自然・歴史・民俗をテーマとして常設展示を行っている。
【身障者用駐車場・トイレあり。障害者手帳提示で本人と介助者1名無料。ただし、身障者車両専用の入口を開扉してもらうため事前連絡(電話:0244-23-6421)が適当。】
■参考リンク:南相馬市博物館