相馬太田神社

2018年5月20日神社

相馬太田神社は、福島県南相馬市にある神社で、「相馬三妙見」のひとつです。平安時代、相馬氏の先祖にあたる平将門が下総国守屋城に妙見社を祀ったのがはじまりとされ、鎌倉時代末期に相馬重胤が陸奥国行方郡の所領に移住した際、守屋城から御神体を奉遷して領内の総鎮守にしたといいます。毎年7月には3社合同により国重要無形民俗文化財の神事「相馬野馬追」が行われています。

旅行先の地図


(この地図の緯度:37.610849, 経度:140.967507

旅行先の概要

御祭神 天之御中主神
所在地 福島県南相馬市原町区中太田字館腰143
交通 常磐自動車道「南相馬IC」から車で約15分
拝観料 無料
駐車場 境内に砕石が敷かれた無料の駐車場あり
URL
連絡先 相馬太田神社社務所 0244-23-2058

歴史・由来

相馬太田神社は、福島県南相馬市にある神社で、相馬中村神社、相馬小高神社とともに「相馬三妙見社」のひとつです。

平安時代、相馬氏の先祖にあたる平将門が、叔父の平良文ともに上野国(今の群馬県)の染谷川で平国香の軍勢と戦い劣勢だったところ、空中から声がして妙見大明神を名乗り、汝の危難を救うとのお告げがあったことから、氏神として妙見神を祀るようになったのがはじまりとされています。

鎌倉末期の元弘3年(1321)、相馬重胤が下総国猿島郡の守屋城(今の茨城県守谷市)から所領があった陸奥国行方郡太田村(今の福島県南相馬市)の別所の館に拠点を移した際に、下総国から妙見神の御神体を奉遷して領内の総鎮守にしたのが現在の相馬太田神社にあたります。

その後も相馬氏代々によって尊崇されてきましたが、神仏分離令を受けて平将門自作ともいわれる甲冑姿の本尊は医徳寺(大甕観音)に移され、明治5年に天之御中主神を祀る「太田神社」と改称、戦後は「相馬太田神社」に再び改称して現在に至ります。

毎年7月には3社合同による国重要無形民俗文化財の神事「相馬野馬追」があり、境内に騎馬武者たちが集まり出陣式を行います。

車椅子で旅行するポイント

この神社は経路に階段があるため境内の一部のみ移動可能です。詳しくは下の図や写真を御覧ください。
【1】中太田公会堂の周囲には砕石を敷いた広い駐車場がある。
【2】相馬太田神社の正面参道。神橋や石段があり高台の本殿までの移動は困難。
【3】境内東側には別に駐車場があり、端の舗装された坂道が社務所方向につながっている。
【4】社務所・祈祷殿・神楽殿がある平坦地までは移動可だが、その先本殿はやはり石段のため不可。






境内配置図 [凡例]
本殿 男山八幡神社 白山神社 足尾神社 絵馬殿 神輿殿 手水舎 神楽殿 祈祷殿 社務所 参集殿 トイレ 鳥居 相馬太田神社社号標 摂社八幡神社社号標 中太田公会堂 モニタリングポスト 相馬郷発祥地孫五郎重胤公城址碑


移動のしやすさ

★★☆☆☆

バリアフリーの状況

相馬太田神社の本殿は高台に位置しており、正面と祈祷殿脇の参道は石段のため登ることができない。したがって到達可能なのは下の神楽殿・祈祷殿・社務所がある付近までとなる。中太田公会堂わきのほか、境内にも駐車場があり車が乗り入れできる。

周辺の名所・観光スポット

南相馬市博物館

南相馬市の市街地脇一望できる東ヶ丘公園の高台に開設された市営の博物館施設で、相馬野馬追祭場地となる雲雀ヶ原がすぐ西側にある。勇壮な神旗争奪戦などの相馬野馬追の様子をジオラマで再現しているほか、国史跡の桜井古墳をはじめとする南相馬市の自然・歴史・民俗をテーマとして常設展示を行っている。
【身障者用駐車場・トイレあり。障害者手帳提示で本人と介助者1名無料。ただし、身障者車両専用の入口を開扉してもらうため事前連絡(電話:0244-23-6421)が適当。】

■参考リンク:南相馬市博物館

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このページの執筆者
@tabisora110