鬪雞神社

闘鶏神社

2023年8月4日神社

鬪雞神社は、和歌山県田辺市にある神社で、允恭天皇の時代に勧請されたと伝えられます。元暦元年(1184)、熊野別当・湛増が紅白の鶏を勝負させ、赤がことごとく負けるのを見て、赤旗をシンボルとして掲げていた平氏に見切りを付け、源氏に味方することに決めた故事が社名の由来となっています。本殿以下の社殿は6棟が横一列に並ぶ特徴的なもので、国指定の重要文化財です。

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旅行先について

地図

旅行先の概要

御祭神 (主祭神)伊邪那美命
(配祀神)事解之男命、速玉之男命、天照皇大神、伊邪那岐命、宇賀御魂命、天乃忍穂耳命、邇々杵命、火々出見命、鵜草葺不合命、火産霊命、埴山比売命、弥都波能売命、稚産霊命、手力男命、八百万神
所在地 和歌山県田辺市東陽1-1
交通 JR紀勢本線「紀伊田辺駅」から徒歩約5分、又は明光バス(30系統)で約3分、「権現前」停留所下車
阪和自動車道「南紀田辺IC」から車で約10分
拝観料 無料
駐車場 境内西側入口に舗装された有料駐車場(「闘雞神社モータープール」)あり(1時間100円)
URL
連絡先 鬪雞神社 0739-22-0155

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歴史・由来

鬪雞神社は、和歌山県田辺市にある神社で、社伝によれば、允恭天皇8年(424)に熊野坐神社から勧請されたとされています。

また、紀州藩が儒者の仁井田好古らに編纂させた『紀伊続風土記』巻之七十一には、熊野三山(熊野本宮大社熊野速玉大社・熊野那智大社)を統括する熊野別当の職にあった湛快が、熊野三所権現をこの地に勧請して「新熊野」と称したとあります。

『平家物語』の伝えるところでは、湛快の子で第21代熊野別当となった湛増は、源平合戦においてどちらの陣営に味方すべきか思い悩み、元暦元年(1184)、新熊野権現の社前で紅白それぞれ7羽の鶏を勝負させて合戦の行方を占いました。

その結果、赤の鶏がことごとく負けるのを見て、赤旗をシンボルに掲げていた平氏に見切りを付け、白旗がシンボルの源氏に味方することに決めたといい、この闘鶏の故事が現在の社名の由来となっています。

鬪雞神社の本殿以下の社殿は、江戸時代に再建されたものですが、6棟が横一列に並ぶかつての熊野本宮大社の伝統様式に倣った特徴的なもので、国重要文化財として指定されています。

鬪雞神社の建つ口熊野の地は、熊野三山への参詣路である大辺路・中辺路といった「熊野古道」の分岐点に当たることから、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとしてこの神社も登録を受けました。

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車椅子で旅行するポイント

鬪雞神社_1.jpg 【1】鬪雞神社西側の鳥居付近。鳥居を挟んで多機能トイレを併設する街なかポケットパーク、有料駐車場入口ゲートがある。
鬪雞神社_2.jpg 【2】有料駐車場の奥にスロープがあり、鳥居正面からの参道と合流する。
鬪雞神社_3.jpg 【3】鬪雞神社の境内入口付近。境内は平坦だが全面的に玉砂利が敷かれている。
鬪雞神社_4.jpg 【4】鬪雞神社拝殿。正面は階段だが賽銭箱は階段下の右手に寄せて置かれている。
鬪雞神社_5.jpg 【5】拝殿脇から裏手に回ると本殿以下の6棟が並んでいる。


闘鶏神社境内図

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境内配置図 [凡例]
拝殿 西御殿 本殿 上御殿 中御殿 下御殿 八百万殿 十日夷神社 雞姫弁財天社 社務所 藤厳神社 大楠 弁慶社 とうけい公園 手水舎 大福院(弁慶生誕の碑) 闘雞神社モータープール 田辺市街なかポケットパーク 県道31号線 権現前バス停

移動のしやすさ

★★★☆☆

バリアフリーの状況

鬪雞神社境内には自動車のまま進入も可能だが、入口鳥居付近には別に有料駐車場が設けられている。ほぼ平坦地にあるがすべて玉砂利が敷かれているので、場所によっては移動時の車輪の沈み込みに注意したい。境内に特段の設備はなさそうだが、入口鳥居脇の街なかポケットパークや南側のとうけい公園の身障者用トイレが使える。

周辺の名所・観光スポット

南方熊楠記念館

博物学者・民俗学者などとして知られ、世界的にも多くの業績を残した南方熊楠の蔵書や手紙・写真・標本などのさまざまな資料を展示する記念館。資料の保存と学術振興を目的に、南紀白浜の地に昭和40年(1965)に開設された。
【身障者用駐車場(館内に3台分)・トイレ・スロープ・エレベーターあり】

■参考リンク:南方熊楠記念館

このページの執筆者
@tabisora110