常磐神社
2013年6月26日神社
常磐神社は、茨城県水戸市にある旧別格官幣社。御祭神は徳川光圀・徳川斉昭両公。偕楽園内にあった祀堂を明治7年(1874)に遷座したもので、境内の義烈館には両公の遺墨や水戸学関連の展示があります。隣接する偕楽園は梅の名所として知られ、早春には観梅客が多く訪れます。
旅行先について
地図
旅行先の概要
御祭神 | 徳川光圀・徳川斉昭両公 |
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所在地 | 茨城県水戸市常磐町1-3-1 |
交通 | JR常磐線・水戸線「水戸駅」からバス約15分、「偕楽園前」下車。 常磐自動車道「水戸IC」から車で約20分。 |
拝観料 | 無料。 ただし、「義烈館」は高校生以上300円、小・中学生100円。【スロープ、車椅子貸出あり。ただし、入口スロープにやや段差】 |
駐車場 | 神社東鳥居入口に有料の舗装駐車場あり。 |
URL | 常磐神社 |
連絡先 | 常磐神社 029-221-0748 |
歴史・由来
常磐神社は、茨城県水戸市にある旧別格官幣社で、高譲味道根之命(たかゆずるうましみちねのみこと)として水戸藩第2代藩主の徳川光圀公(義公)を、押健男国之御楯命(おしたけおくにのみたてのみこと)として水戸藩第9代藩主の徳川斉昭公(烈公)を祀ります。
水戸藩第2代藩主の徳川光圀公は、放蕩を繰り返していた若い頃に『史書』伯夷伝を読んで、兄弟の境遇が似通っている(弟の光圀が兄を差し置いて水戸徳川家を継ぎ、兄の松平頼重は高松藩主となった)ことに感銘して、以後は素行を改めるとともに、正しい歴史を残す重要性を痛感したとされ、藩の事業として、神武天皇から後小松天皇の時代にわたる紀伝体の史書『大日本史』の編纂に努めた人物であり、当地では諡の「義公」をもって知られています。
このときに修史事業の事務局として江戸小石川藩邸内に「彰考館」が置かれ、史料収集や考証のために全国に史館員が派遣されたことから、明治時代にこれを題材とした講談の『水戸黄門漫遊記』が生まれ、彰考館総裁の佐々宗淳(介三郎)、安積澹泊(覚兵衛)が、それぞれ水戸黄門の侍者である「助さん」「角さん」のモデルとして採り上げられています。
第9代藩主の徳川斉昭公は、藩校として「弘道館」を開設し、藤田東湖ら有為の人材を広く登用したり、藩士や領民の余暇の場であり、実際には出城の機能を果たすといわれる大名庭園「偕楽園」を造園したり、異国船来航の騒ぎのなかで海防の必要性を説いて幕府の参与に任じられるなど、光圀以来の名君として「烈公」の諡号をもって知られています。
義烈両公の徳を慕う旧水戸藩士が偕楽園内に建立した祀堂が、明治7年(1874)に遷座し、明治天皇の勅旨をもって「常磐神社」と命名されたものが、現在のこの神社であり、後に別格官幣社に列格し、境内摂社としては水戸学の大家として幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた藤田東湖を祀る「東湖神社」があります。
境内の「義烈館」には、徳川光圀・徳川斉昭両公の遺品、遺墨や水戸学関連の展示、異国船対策として水戸藩が鋳造した大砲「太極砲」、追鳥狩(水戸藩の軍事演習)で用いた巨大な陣太鼓などがあります。
常磐神社に隣接する「偕楽園」は、岡山の「後楽園」、金沢の「兼六園」とともに「日本三名園」のひとつに数えられる梅の名所として知られ、早春には「水戸の梅まつり」が開かれ、観梅客が多く訪れます。
車椅子で旅行するポイント
周辺の名所・観光スポット
水戸芸術館
建築家の磯崎新が設計した、水戸の市街地に聳える高さ100メートルの多角形の塔をシンボルとし、コンサートホール、劇場、現代美術ギャラリーからなる複合文化施設。音楽、演劇、美術分野の自主事業が盛んで、世界的な指揮者・小澤征爾が館長に着任。
【館内は車椅子可。ホール・劇場とも車椅子専用スペース・無料駐車場あり、チケット予約センターに事前申出を。ギャラリーは障害者本人と介助者1名無料】
■参考リンク:ART TOWER MITO 水戸芸術館
偕楽園
金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ「日本三公園」の一つで、天保13年(1842)に水戸9代藩主徳川斉昭が造園。常磐神社わきの千波湖に臨む高台にあり、約3千本の梅が植えられている観梅の名所。
【玉砂利敷だが車椅子可。ただし、「好文亭」は館内階段につき不可】
■参考リンク:偕楽園
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